電話の向こうから、温かい声色が聞こえた。
「なんかあったら言うてこいよ」
たったこの一言で、強者たちを奮い立たせることのできる人物が存在する。筆者は「はい! 失礼します!」と大きな声で返事をし、相手側が電話を切るのを確認してから電話を切った。
あれから、もう4年の月日が流れた。筆者がかつて所属していた組織、二代目大平組組長・中村天地朗親分と同組若頭でもある中村会の中村彰宏会長(当時)が同時に逮捕され、留守を任された時のことだ。当時、六代目山口組の阪神ブロック長であった四代目山健組・井上邦雄組長は、筆者のような枝の組員にも、終始一貫、温かい言葉をかけてくれていた。冒頭のようなちょっとした一言から、その人の懐の深さは伝わってくるものだ。
6月6日、その井上組長が逮捕され、業界関係者に衝撃が走った。知人名義で携帯電話の機種変更をしたことが詐欺容疑にあたると兵庫県警は発表したのである。
逮捕の噂は、前日5日の正午あたりからさまざまな尾ひれを伴い、瞬く間に業界関係者、マスコミ関係者へと広まっていった。それもそのはずである。井上組長といえば、四代目山健組の頭首であることはもちろん、神戸山口組数千余のトップに君臨するリーダーであり象徴。その注目度は甚大だ。
「京都府警が逮捕する」
「いや、兵庫県警が携帯電話の詐欺容疑ですでに逮捕している」
「いや、任意で兵庫県警の取り調べに応じ、明日出頭するようだ」
「山健組最高幹部らが、花隈(山健組本部)に集結しているらしい」
情報が錯綜した翌6日、それが現実のものとなり、メディアが一斉に報じる事態へと発展したのだ。それと同時に、疑問の声も広まった。筆者が特別な立場だから言うわけではない。他人名義での携帯電話の機種変更が詐欺にあたり、逮捕までされることに妥当性はあるのだろうか、というものだ。
この事案について、ある法律の専門家はこのような見解を示している。
「暴力団だからと一括りにし、警察がこのような事案を事件にすることに裁判所は疑問符を打つのではないか」
そして、「これでは検察が公判を維持することは不可能だろう」と語るのだ。
一方で、「これは引きネタ(別件逮捕)ではないか」と指摘する向きもある。当局の狙いは別の事件にあるというのだ。それは今年1月に起きた会津小鉄会の分裂騒動、いわゆる「京都の乱」である。
会津小鉄会が、六代目山口組派と神戸山口組派で内部衝突を起こし2つに割れたことで、すでに分裂していた山口組の代理戦争といわれたこの騒動では、組事務所で組員同士の衝突が起こり、傷害事件にまで発展している。
会津小鉄会組員だけではなく、騒ぎに駆けつけた六代目山口組組員や神戸山口組組員らも一斉に逮捕されるのではないかといわれてきた事案だが、まさかそんな小競り合いに井上組長自身が関与した疑いがあると当局は本当に考えているのだろうか。ヤクザ事情に詳しい関係者はこう述べる。
「井上組長ほどの立場にある人が、そんな事態にかかわっているはずはないと当局も知っているはず。組織トップの使用者責任を問うという線も考えられるが、それなら司組長(六代目山口組・司忍組長)も対象になるはず。ただ、現時点でそのような情報は出ていない」
そして、「仮に再逮捕があるのなら、会津小鉄会の騒動ではなく、今回同様、無理筋の詐欺容疑のような微罪ではないか」との意見を口にした。ただし、会津小鉄会の騒動については、当局は誰かしらを逮捕することに躍起といわれている。その理由があるのだ。
「組事務所で衝突が起こった際、暴行を受けた組員がその事実を携帯を通じて関係者に訴え出る様子がカメラに映り、それがメディアでクローズアップされてしまった。あれをやられると、警察も動かざるを得ない」
ただし、こう語る地元関係者も、井上組長がこの件で再逮捕される可能性はまず考えられないと話している。
井上組長逮捕の影響とは?
では、今回、分裂騒動の最中にある神戸山口組トップの井上組長が逮捕された影響は、果たしてどのようなものか。神戸山口組系組員に話を聞いた。
「もちろん驚きとショックは大きい。だがすでに神戸山口組首脳陣および山健組では、このような事態が起きた時の対応は協議されていた」
つまり、組織運営においても、分裂問題においても、大きな障害が起こることはないという見方だ。
確かに、神戸山口組のシンボルである井上組長が逮捕された衝撃は大きいだろうが、だからといって組織が揺れ動くことはない。常にトップが不在になるというリスクを抱えるヤクザ組織は、総じてそういうものだ。逆に一致団結し、井上組長の帰りを待つだけということなのだろう。
一方でこの日、兵庫県警は、任俠団体山口組系組織の幹部らを逮捕したともいわれている。井上組長の件とは直接的な関係が見えないが、あえて同日に行ったとしたら、分裂騒動で世間を騒がす山口組対策に同県警が本腰を入れだしたことをアピールする目的があったと思えてならない。さらに、今後は前述した会津小鉄会をめぐっても当局のメスが入るだろう。
三つに分かれた山口組の一連の動きは、これに乗じて各組織の弱体化を図りたい警察を加えた四つ巴の争いへと突入し、新たな局面を迎えるのかもしれない。
4年前、親分に代わり筆者が代理出席した、分裂前の六代目山口組定例会。開催場所である総本部の大広間を出て、同じくブロック会議に出席するために移動しようとした筆者に対して井上組長は「おっ、行こか」と温かい言葉をかけてくれた。慣れない総本部の中に置かれた自分にとって、この一言で心底救われた思いがした。
(文=沖田臥竜/作家)
●沖田臥竜(おきた・がりょう)
2014年、アウトローだった自らの経験をもとに物書きとして活動を始め、『山口組分裂「六神抗」』365日の全内幕』(宝島社)などに寄稿。以降、テレビ、雑誌などで、山口組関連や反社会的勢力が関係したニュースなどのコメンテーターとして解説することも多い。著書に『生野が生んだスーパースター 文政』『2年目の再分裂 「任侠団体山口組」の野望』(共にサイゾー)など。最新刊は、元山口組顧問弁護士・山之内幸夫氏との共著『山口組の「光と影」』(サイゾー)。