房総半島の中央、千葉県市原市を流れる養老川河岸の崖に露出した地層をめぐり、推進派の茨城大学(岡田誠教授)、国立極地研究所(菅沼悠介准教授)と、反対派の古関東深海盆ジオパーク推進協議会(以下、協議会/楡井久茨城大学名誉教授ら)による泥沼の“チバニアン騒動”が勃発したことを覚えておいでだろうか。
その崖の露頭には約78.1万年前の「地球最後の地磁気逆転」の明確な痕跡があり、1990年代から大阪市立大学が中心となって地質調査が行われてきた。同様の痕跡のある露頭はイタリアでも2カ所見つかっており、国際地質科学連合(IUGS)による最終国際審査に通れば、その地層はそれぞれ「チバニアン」(千葉の時代)または「イオニアン」と命名される。
もともと推進派と協議会は共同で調査・研究してきたのだが、地磁気の逆転を示すデータの一部が、1.7km離れた別の地層から採取したデータであることが発覚し、協議会は「データのねつ造、改ざん、盗掘」は「研究不正」に当たるとして反対派へと転じ、地質学者同士が相争う泥沼の論争が繰り広げられた。
しかし、反対派の指摘はことごとく無視され、推進派は第一次審査、第二次審査、第三次審査を楽々クリアして昨年1月17日、韓国・釜山市で開催されたIUGS理事会の最終審査も突破。日本の「チバニアン」が晴れてGSSP(国際標準模式層及びポイント)に認定された。これで推進派と反対派の論争も終わりかと思われたが、どっこい、まだ終わっていなかったのである。
協議会のメンバーは、正式認定後も「チバニアンGSSP審査論文の疑問点」をHP上に随時掲載すると同時に、地球電磁気・地球惑星圏学会、日本学術会議IUGS分科会、日本地質学会、IUGS執行委員会、学術振興会、フランスCerege研究所等々に「科研費研究活動における特定不正行為の疑い」を告発し続けてきた。だが、回答はいずれも「科学的に問題なし」。これには、さすがの協議会側も「もはや我慢の限界」。昨年末、「科学者の国会」ともいわれる日本学術会議の梶田隆章会長に直訴した。
文書は「日本学術会議が係わる国際的な研究不正への対応のお願い」と題し、結論として「IUGSの決定に大きな影響を与えてしまっている、貴会の地球惑星科学委員会IUGS分科会が、なぜこの様な特定不正行為の疑いに対して『科学的にも問題がない』と判断するに至ったのか、根拠を示すよう促して頂くとともに、貴会におかれましても本当に『科学的にも問題がない』ものであるかどうかをご検討頂ければ幸甚に存じます」と結んでいる。
日本学術会議、IUGSの政策決定に大きな影響力
日本学術会議をめぐっては昨年10月1日、第25期の推薦新会員105人のうち6人の任命を、管義偉首相が合理的な理由なく拒否したことから、日本学術会議のあり方について議論を呼んだが、改革については今年4月以降に先送りされた。日本学術会議の役割は、大きく分けると「政府に対する政策提言」と「国際学術団体との連携」の2つ。チバニアンとのかかわりでいえば、後者が大きな意味を持つ。
日本学術会議は44の国際学術団体と連携しており、うち42の団体に加盟分担金を支払っている。年間予算10億5000万円に占める国際学術団体関連の支出は、平均約2億円だ。チバニアンを認定したIUGSへの分担金は、高い順に8~1までのカテゴリーに分かれ、日本は米、英、独、露と同じカテゴリー8に属し、IUGSの政策決定に大きな影響を与える8票の投票権を持つ。金額は年間約500万円。費用対効果は絶大だ。
「日本学術会議には文書とメールとCDデータも送りました。今のところ何も回答はありません。政府が日本学術会議にいろいろ言っていますが、一部は当たっていると思います。いい加減な申請論文をチェックもしていません。日本地質学会も日本電磁気惑星学会も、日本学術会議のIUGS分科会も『何も問題はない』という。アメリカの『ジオロジー』という雑誌に、なぜこの論文を掲載したのか聞くと『日本のIUGS分科会が認めたから掲載した』と言い、IUGS分科会に聞くと『アメリカの権威ある雑誌に掲載されたから問題ないと判断した』と言うのです。
つまり、責任のなすり合いなのです。しかし、科研費は国民の税金なので、チェックする必要があります。だから、我々は科研費を決める学術振興会や、科研費を受けた茨城大学、国立極地研究所などに調査を要請したのですが、『小さな問題はあるが、審査に影響を与えるような問題はない』という回答でした。STAP細胞のときはすべてオープンでしたが、チバニアンは申請書すら公開していません」
協議会の楡井会長は、こう言ってあきれる。推進派はチバニアンが正式に認定されたのだから、反対派が何を言おうと馬耳東風と聞き流せるはずだ。しかし、推進派も申請書や論文に手を入れている。「問題はない」と回答しているにもかかわらず、チバニアンが正式に認定された後になって、なぜ手を入れる必要があるのか。「小さな問題」が、実は「大きな問題」だからではないのか。
チバニアン推進派の菅沼悠介准教授、不可解すぎる「公式論文」ツイート
昨年4月4日付の『ブルーバックス』(講談社)電子版に、推進派の国立極地研究所の菅沼悠介准教授が、「チバニアンを生んだ『地質学の聖地』は今どうなっているのか」というエッセイを寄せている。以下は、短いエッセイの最後の部分である。
「ただし、じつはまだチバニアン認定のもととなった申請書自体は公表されていない。これは『Episodes』(エピソード)という学術雑誌に論文掲載して公開するのが通例だ。現在、私はこの論文のとりまとめ作業を進めている。今一度チバニアン研究チームの仲間たちに協力してもらい、なるべく早く皆様にチバニアン公式論文を届けたいと思う」
「申請書は学術雑誌に論文掲載して公開するのが通例だ」「チバニアン公式論文」という文言が腑に落ちない。今までの論文は非公式だったのか。公開していなかったとしても、チバニアンの申請時に申請書は提出されている。それをなぜ今まとめているのか。そもそも、論文に公式とか非公式とかあるのか。以下は、菅沼氏の昨年8月22日のツイートである。
そもそも、なぜこれまで非公開だったのか。なぜ審査終了後に提出済みの申請書本体を微修正しているのか。微修正するなら審査終了前にすべきではないのか。また、以下は日本学術会議の役割のうち加盟分担金について述べている10月12日付のツイートである。
もうひとつ気になるツイートがある。菅沼氏と同じ極地研の羽田氏のツイートだ。
この3本の論文が“公式論文”ということになるらしい。どれも突っ込みどころ満載のツイートである。こんなことをつぶやいて、本当に大丈夫なのだろうか。
果たして日本学術会議は、これにどう回答するのか。以下に、平成26年9月12日付「第2回日本学術会議の新たな展望を考える有識者会議」が、日本学術会議事務局に提出した資料のうち、研究不正についての「研究活動における不正や不正の防止策と事後措置 ― 科学の健全性向上のために」と題した提言を掲げる。
「データのねつ造や論文盗用といった研究活動における不正行為の事案が発生したこと等を踏まえ、我が国における世界最先端の科学研究の推進及びその健全化を目指して、研究不正を事前に防止する方策及び研究不正が発生した場合の対応策の提言を行った」
日本学術会議の力量が問われている。
(文=兜森衛)