パン焼きオーブンでアスベスト被害「気づいてほしい」遺族の願い
そんな西本氏の夫が01年から急に、深呼吸ができなくなり、背中に痛みを訴えるようになっていったという。「主人はよく『しんどい。しんどい。背中が痛い。何でやろ』と言うてました」と西本氏は述懐する。当時はまだアスベスト被害が明るみになっていない時期だったので、検査をしてもなかなか病名を特定できずにいた。そんな中、01年6月に神戸市内の六甲病院に検査入院をしたところ、主治医が「中皮腫です」と診断した。その後、医療設備の整った兵庫医大で手術を行い、一時は回復に向かったが、04年6月30日についに帰らぬ人となった。
それから1年後、クボタショックが勃発し、関西でアスベスト被害者とその家族を支援する古川和子氏の存在をニュースで知った西本氏は「ちょっと待てよ……うちの旦那も中皮腫や」と思い、すぐに古川氏に連絡。その後、NPO法人「ひょうご労働安全センター」を紹介され、西本氏はアスベスト被害の労災申請をすることになった。だが、申請までが苦労の連続だった。
「昔のパンのオーブンにアスベストが使われていたという話は、私も聞いていたのですが、主人の働いていたどの事業所も、パン協会も、「昔のオーブンなので、証明できない」といって取り合ってくれませんでした。主人の同僚に証言をお願いもしましたが、みんな、かん口令が敷かれていたので、話しませんでした。現役の社員は『給料をもらっているから、口に出せない』と言い、辞めた人も『会社に恩がある。証言したいんだけど言えない』という人が大多数でした」
行き詰まるなか、偶然にも、同センターの事務所に別件で相談にきた、製パン機のメンテナンスを行う会社の従業員の男性と居合わせたという。
たまたま現れたその男性に事情を相談したところ、「同じオーブンではないけれども、一つの証明になるんじゃないか」と言って、かつてどのパン工場でも使われていたという、アスベストの入ったオーブンの写真付きで、労基署(労働基準監督署)に提出するための意見書を書いてくれた。「それが労災の認定につながりました」と西本氏は語る。
その意見書には、こうつづられていた。
「20年以上も前のオーブンには、すべてといっていいほどアスベストを編んだパッキン(気密のために挟む材料)が使われていました。長期に使い続けると、パッキンが焼けていきます。また、オーブンのフタを閉める時、バネの力でかなり強く『バタン』と閉まります。いずれもアスベストの飛散が考えられます。オーブンからパンを取り出す時に使う耐熱性手袋にもアスベストが使われていました。銀色の手袋が黒く焼け、先端部分が擦り切れてアスベストが見えているものも、何度か見たことがあります」
西本氏は、この意見書を付けて、05年11月末に西宮労基署に労災を申請した。すると翌年3月末にスピード認定された。