「ステークホルダー資本主義」という言葉がもてはやされている。企業は株主の利益を最優先するのではなく、従業員や顧客、地域社会、地球環境など幅広い利害関係者(ステークホルダー)に配慮しなければならないという考えだ。これまでの「株主資本主義」が格差拡大や環境破壊といった問題を引き起こしたとして、それに代わる新しい資本主義の形として提唱されている。
ステークホルダー資本主義が最近注目された場は、世界の政財界リーダーらがスイスの山岳リゾートに集まり議論を交わす世界経済フォーラム年次総会(ダボス会議)である。今年1月に50回目を迎えた同会議は、ステークホルダー資本主義をテーマに掲げた。
会議創設者で経済学者のクラウス・シュワブ氏は開催に先立つ声明で、株主資本主義は、短期の利益を求める金融業界の圧力とあいまって、現実の経済からかけ離れたものになってしまったと批判。もはや持続可能ではないと多くの人々が気づいていると述べた。
株主資本主義の総本山とみられてきた米国でも、ステークホルダー資本主義が勢いづいている。米経営者団体ビジネス・ラウンドテーブルは2019年8月、従業員や地域社会の利益をこれまで以上に尊重する方針を示した。アップルのティム・クック氏や、JPモルガン・チェースのジェイミー・ダイモン氏など有力経営者が署名した。
幅広い関係者に配慮するというステークホルダー資本の主張は、一見もっともらしい。しかし、それは本当に正しいのだろうか。
所得格差拡大の原因は過剰なカネ余り
ステークホルダー資本主義の支持者によれば、株主資本主義では短期の利益ばかりが重視されるという。だがそれは事実に反する。会社の株価を最も左右するのは、むしろ長期の利益である。リストラなどで利益が一時増えても、長期の業績向上につながらないと投資家から判断されれば、株価は持続して上昇しない。
株主資本主義による経済活動は地球温暖化の元凶だと非難される。ダボス会議にはスウェーデンの17歳の環境活動家グレタ・トゥンベリさんが招かれ、「環境問題の対応はまったく不十分だ」と持論を展開した。けれども昨年10月14日の本連載で述べたように、温暖化の原因が経済活動で人為的に排出された二酸化炭素(CO2)かどうかは実はよくわかっていない。かりにそうだとしても、政府がCO2排出を過度に規制すれば、経済成長が妨げられ、貧困を増やす恐れが大きい。
株主資本主義は所得格差を拡大させたと批判される。たしかに資本主義は、社会全員の平等をめざす社会主義とは違い、個人の努力による富の格差を認める。しかし近年指摘される格差拡大は、不動産や株式などの資産バブルが原因であり、その根本の原因は政府・中央銀行の金融緩和政策による過剰なマネーの供給だ。株主資本主義のせいではない。
そもそも競争が自由な市場経済では、株主の利益は他のステークホルダーの利益と衝突しない。企業が利益をあげるには優秀な従業員を雇う必要があり、そのために魅力ある労働条件や職場環境を提供する。繁盛する会社が立地し、多くの人が働く地域社会には活気が生まれる。
ここまでの説明で、ステークホルダー資本主義の前提とされる、株主資本主義批判のおかしさがわかっただろう。この続きはさらに重要である。ステークホルダー資本主義そのものに深刻な問題が内在しているからだ。
フリードマン氏の洞察
株主資本主義を批判する際、よく言及されるのは米経済学者ミルトン・フリードマン氏の主張だ。フリードマン氏は1970年、ニューヨークタイムズ・マガジンに掲載された「企業の社会的責任は利益を増やすこと」と題するエッセーで、株主利益を重視する本来の資本主義を強く擁護した。
ステークホルダー資本主義を支持する人々は、フリードマン氏のこのエッセーを結論しか紹介せずに、「新自由主義」に基づく過激で常軌を逸した主張であるかのように印象付けようとする。けれども実際に中身を読めばわかるように、結論を導く論理はきわめて明快で説得力がある。
フリードマン氏はエッセーで、ステークホルダー資本主義と実質同じ主張である「企業の社会的責任(CSR)」を厳しく批判した。同氏は言う。企業経営者は株主に対して直接、責任を負っている。その責任とは、株主の望みに沿って企業を経営することであり、それはたいていの場合、社会の基本ルールに従いながら、できるだけ多くのお金を稼ぐことである。経営者はあくまで株主の代理人として、依頼人である株主に責任を負う。
経営者がたとえば、会社の利益にとって最善な額や法的義務を超えて環境保護のために出費したり、会社の利益を犠牲にしてまで貧困撲滅のために失業者を雇ったりすれば、社会的責任のために株主という他人のカネを使うことになる。これは事実上の税金である。税を課すのであれば、政治手続きを踏まなければならない。事実上の課税を経営者にやらせようとする人々は、民主主義の手続きを踏んでいては達成できないことを、非民主的手続きによって達成しようとしているのだ。
フリードマン氏は以上のように論じたうえで、企業の唯一の責任は株主のために利益を増やすことでなければならないと強調したのである。どこにも突飛なところはないし、むしろその洞察は深い。もしステークホルダー資本主義の名のもとに、株主が自分の望まない目的のために事実上の税金を課されるようになれば、課税は法律に基づくという民主主義のルールは空洞化する。
ステークホルダー資本主義を称賛する人々は、フリードマン氏が提起したこの重大な問いを無視している。彼らは株主資本主義が民主主義を破壊すると批判するが、税のルールからの逸脱で民主主義を危うくするのは彼ら自身である。
経営者がステークホルダー資本主義を熱心に支持する理由
もちろん、株主利益に反する経営者をクビにする権限が株主に確保されているのであれば、善人ぶって他人のカネを使う経営者の勝手な行動には歯止めがかかるだろう。だがステークホルダー資本主義の支持者が提案するように、会社の意思決定権を株主だけではなく従業員や自治体、政府などの代表者も握るようになれば、話は違ってくる。
一部の経営者がステークホルダー資本主義を熱心に支持する理由も、ここにある。利益をあげるという経営者本来の能力が衰えても、それ以外の目的に他人のカネを景気よくバラまいていれば、地位は安泰だし、世間から立派な人と尊敬してもらえる。
政治家、官僚、労働・環境活動家らにとって、企業はカネのなる木だ。彼らの思惑に、株主に脅かされず地位を守りたい経営者の利害が一致し、ステークホルダー資本主義という企てが生まれたとすれば、社会を危うくする陰謀と呼ぶにふさわしい。
(文=木村貴/経済ジャーナリスト)