昨秋より騰勢を強めていた株式市場は、年が改まってその勢いはさらに加速、日経平均株価は2月15日に3万円の大台を突破した。コロナショックで2度の暴落(終値で前日比5%以上の暴落)に見舞われたのが、昨年の3月のことであり、最安値は1万6000円台であったのだから、この1年足らずで、ほぼ倍化したことになる。本サイトでコロナ暴落はリーマンショックに比較して市場への影響は限定的と指摘したが、正直なところ、ここまで強い展開になるとは予想していなかった。
このまま3万円台を維持して、さらに右肩上がりで推移するならば、バブル景気の全盛時の水準に迫ることになる(採用銘柄の入れ替えが定期的に行われているために単純な比較はできないものの、2月15日時点でも旧平均株価で3万円プラスアルファ相当になっているのだろう)。
ただ一方で、自粛モードの下で生気を失っている盛り場のうら寂しい眺めや、異様な印象を拭えない全員マスクの通勤風景からも、有事と株価の著しい乖離、不自然さを指摘する声は多い。あの時代の熱に浮かれたような空気を体験した立場でみても、当時との共通項を探すのは難しい。やはり多くの証券関係者のコメントにあるように「空前の金融緩和の下で行き場を失った資金が、株式市場に奔流のように流れ込んでいる」ことが上昇相場の最大要因なのだろう。
あえて相似する点をあげるのならば、需給面の良好さ、すなわち売り手が不在であるということだろうか。周知の通り、バブルの頃の株式市場は世界最強と謳われた国内の生保・銀行・信託銀行などの金融機関ばかりか、各業種を代表するような巨大企業の多くが財テクに参入、オール買い方に回って株価を突き上げたものだ。
現在もまた国内金融機関の元締めである日本銀行が、率先してETF(上場投資信託)を購入して株価の浮揚を全面的に支援している。相手が中央銀行とあっては、いかに練達の投資家やファンドであっても、売り向かうことに逡巡するはずだ。
個人投資家の心理
ただ当時と大きく異なるのは、個人投資家の心理だろう。象徴するのは、バブル景気以前から株式売買を行っているベテラン個人投資家の見解である。
「投資元本を割り込むような事態にならない限り、保有していくつもり。キャッシュにする気にならないのは、それを運用する適当な場がないからだ」(80代男性)
「大化けしたユニクロ(ファーストリテイリング)等の銘柄を持っているわけではなく、自身それほどの利益は出ていない。売買益よりも配当を貰うことを優先しています」(70代女性)
老若男女問わず、札束を鞄にひそめて証券会社の店頭に押しかけて、差益狙いに熱中していたバブルの時代と比較すると、なんとも熱気に乏しく醒めている。
ともあれ「売らない」「売れない」という投資家の事情に支えられた相場は、パンデミックを凌ぐような事態が発生しない限り、ある程度の調整を挟みつつ、案外しぶとく続くように思える。3万円乗せを到達点と捉えるのは、証券界の古い言い伝えである「相場は行き過ぎるもの」からも、無理があるのではないか。
最も注視すべき現象は?
現状が上昇相場の何合目にあたるかは神のみ知るところだろうが、遅かれ早かれ相場は限界を悟って、下降に転じるものだ。いささか気は早いかもしれないが、転ばぬ先の杖代わりに、30年前の株式バブルやITバブル等の前例を想起しつつ、株価が天井圏を形成するときに起こりがちな事象をいくつか記してみよう。
(1)株式投資の話をよく聞くようになる
周辺から「株で儲けた」ふうの話が耳に入るようになるときには、相場は変調を来しているものだ。これもビギナーほど安易に自慢する傾向があるからだろう。
(2)投資の勧誘が増えてきた
証券会社等からの営業やその種のメールが増えるのは高値圏の裏返しといえる。顧客に高く買わせて安く売らせるのは、凡庸な証券会社の定番ではある。
(3)若い財テク長者がヒーロー扱いされる
手腕よりも運に恵まれた若手投資家が時代の花形と囃されるのも、バブルの頂点やそれに近い局面でしばしば見られた風景だ。
(4)永久繁栄論が唱えられる
日経平均10万円説や地価の永久上昇論のように極端な強気論が公然と唱えられるのも、上昇相場の終わりによく起こる現象といえる。
(5)米国の金利上昇が始まる
教科書通りではあるが、金利の上昇は確実に株式市場の頭を押さえる。仮に当局が処方を誤れば大崩れにもつながる。今後最も注視すべきであるのは、この点かもしれない。
(文=島野清志/評論家)