『第九』に込められたメッセージ
さて、作曲家というのは、その作品の中に“わかる人にはわかる”ようなメッセージを入れ込むことがあります。そんな話は、別の機会にゆっくりと紹介しますが、特にベートーヴェンは、政治的なメッセージを入れることがよくある作曲家です。それでも、音楽だけであれば意図を言葉で明文化しているわけではなく、政治警察もその証拠を明解にはできないので、捕まえることもできません。しかし、『第九』の大きな特徴は、最終楽章にソリスト歌手と合唱団が参加する点にあります。つまり、言葉である歌詞があるのです。ここがベートーヴェンにとっては大きなリスクとなります。
『第九』の歌詞は、ドイツの思想家・シラーがアメリカ独立の前年、1785年に発表した「自由賛歌」が基になっています。この時代の“自由”というのは、一般民衆が王侯貴族体制から解放されるという、当時の国家体制にとっては危険な言葉であることをまずは理解する必要があります。実際に、フランス革命の前には、現フランス国歌である革命歌「ラ・マルセイエーズ」のメロディーに乗せて、シラーの「自由賛歌」が、ドイツの革命思想を持った学生たちに歌われていました。
そのため、シラーがそんな歌詞をそのまま出版したら、ドイツでは危険思想として出版禁止となるのは当然として、シラーの身も危うくなったかもしれません。そんなこともあり、シラーは『歓喜に寄す』とタイトルを変え、詩を改訂し、出版したという“曰く付き”の作品なのです。この詩に当時15歳だったベートーヴェンが深く感動し、終生これに音楽をつけたいと願い、死の3年前になって作曲したのが『第九』なのです。
当時の知識階級の人たちにとっては、シラーが意図する“歓喜”というのは、すなわち“自由”の意味であることは明らかでした。しかも、シラーが“自由”の代わりとして“歓喜”という言葉を選んだことも、「自由とは、すなわち歓喜すべきことである」と理解されたのだと思います。そんな政治的な詩を『第九』のなかで使用するのみならず、ベートーヴェンはそれ以上にはっきりとした政治的メッセージを、自身の作詞により加えています。それは、最初にバス歌手が歌う歌詞です。
「おお友よ、このような音ではない!
我々はもっと心地よい
もっと歓喜に満ち溢れる歌を歌おうではないか」
“このような音”とは、「これまでの音(音楽)=貴族社会」を意味します。これを否定し、「歓喜=自由」を謳歌しようではないか、という意味が込められていると思いながら、僕は指揮をしてきました。
それからバス歌手は、シラーの詩を歌い出すのですが、最初が変わっています。「歓喜!」と一言呼びかけると、合唱団が「歓喜!」と答えます。まるで、デモのシュプレヒコールのようです。もし、当時のウィーンの広場で同じことを叫んだら、すぐに政治警察が飛んで来たに違いありません。そして、もう一度同じ叫び合いをしてから、バス歌手はメロディーを歌い始め、「歓喜よ、美しい神の炎よ!」と自由を賛美するのです。ここだけ見ても、ベートーヴェンは確信的であることがわかります。
さて、初演は大成功を収め、観客は大騒ぎします。自由・国民主義を抑圧してきた悪名高きメッテルニヒ体制下でも、もう群衆の勢いは止められなかったのだと思います。そしてもちろん、ベートーヴェンの素晴らしい音楽が、すべてを凌駕していたのは言うまでもありません。残念ながら、音楽家としては致命的な難聴に侵されていたベートーヴェンには、群衆の熱狂的な拍手の音も聞こえず、コンサートマスターに促され、やっと客席を向いて、その大成功を知ったと伝えられていますが、公共の場でもあるコンサート会場で、こんな大それた交響曲を発表したわけで、民衆の反応を確かめるのに、少々の躊躇があったのかもしれません。
僕は、ベートーヴェン交響曲第9番の合唱稽古の際に、必ず合唱団に話す曲中の歌詞があります。それは「Alle Menschen werden Brüder(すべての人々が兄弟となる)」という一節です。シラーの1785年初稿では、「物乞いらは君主らの兄弟となる」という、もっと切り込んだもので、それこそベートーヴェンが青年時代に読んで感動した文だったのですが、この“兄弟”というのは、“仲間”という意味です。つまり、貴族であっても、平民であっても、物乞いであっても、みんな同じ。国籍、年齢、性別、肌の色、宗教すべてを乗り越えて、全世界の人たちが仲間になろうという、強いメッセージです。これを年末に歌いあげる日本という国は、なんと素晴らしいのだろうと、僕は思います。
(文=篠崎靖男/指揮者)