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篠崎靖男「世界を渡り歩いた指揮者の目」 

150億円のフェルメールの最高傑作絵画が、偶然を重ね今まで残存した驚きの理由

文=篠崎靖男/指揮者

 フェルメールの現存する絵画があまりにも少ないので、多くの美術館は「フェルメールと同時代の画家たち」と名づけて、数点のフェルメールを目玉とした展覧会を企画するなどの工夫を強いられています。また、フェルメール作品がオークションに出ることも極めて少なく、あったとしても非常に高額になるのは不可避です。たとえば、“オランダのモナ・リザ”とも評される彼の最高傑作「真珠の耳飾りの女」は、1881年に取引された際には、当時の価値でたったの1万円くらいでしたが、現在、仮にオークションにかけられたとしたら、150億円は下らないと予想されています。

ベートーヴェン直筆の楽譜でも価値は高くない?

 ところで、世界にたったひとつの存在であっても、なぜそこまで価値が上がるのでしょうか。同じようなものに、金があります。確かに美しい金属ではありますが、「細工がしやすい」「錆びない」という利点を除けば、生活に役立つものではありません。しかし、欧米人だけでなく、アジア人、アラブ人をはじめとして、世界中の人々が金を欲しがるのです。

 本記事は、オーケストラ指揮のために滞在している南アフリカ・ヨハネスブルクで執筆していますが、ヨハネスブルクも、もともとは少数の原住民が生活をしている集落でしかありませんでした。しかし、アフリカ大陸を代表する大都市のひとつに成長したのは、1886年に金鉱が発見されたからでした。アメリカ西海岸や、アラスカのゴールドラッシュもそうですが、金は人を狂わせるようです。これは同じく南アフリカで盛んに採掘されていたダイヤモンドにもいえます。

 では、希少価値があるとはいえ、なぜ金属の一種の金や、石ころの仲間のダイヤモンドに高いお金を出して、手に入れようとするのでしょうか。

『国富論』を書いた経済学者のアダム・スミスは、「水とダイヤモンドのパラドックス」という命題を出しました。彼は「使用価値」と「交換価値」と話を始めます。「使用価値」とは、水のように、使用することによって得られる有用性です。「交換価値」とは、ダイヤモンドのように、交換するときに優位性がある価値で、お金や労働力によって取得されます。

 人間は、水を飲まなければ死んでしまうので「使用価値」はありますが、それ自体は「交換価値」を持ちません。経済学では、価格の話をする場合に話される「交換価値」は、需要と供給のバランス、そして希少性によっても上がっていきます。ダイヤモンドは、美しいだけでなく、希少であるために「交換価値」が高いといえるのです。

 そういう意味では、フェルメールの絵は大変希少価値が高く、「交換価値」がものすごく高いといえます。

 ところが、同じ芸術でも音楽は少し違います。仮に、ベートーヴェンの『第九』の自筆譜がオークションに出たとしたら、世界でひとつの希少な存在として高く売買されるでしょう。しかし、「交換価値」は、歴史的絵画にははるかに及びません。というのは、自筆譜自体が音を出すわけではなく、いったん清書されて出版されてしまえば、世界中のオーケストラで同じ曲を演奏できるからです。
(文=篠崎靖男/指揮者)

篠﨑靖男/指揮者、桐朋学園大学音楽学部非常勤講師

篠﨑靖男/指揮者、桐朋学園大学音楽学部非常勤講師

 桐朋学園大学卒業。1993年ペドロッティ国際指揮者コンクール最高位。ウィーン国立音楽大学で研鑽を積み、2000年シベリウス国際指揮者コンクールで第2位を受賞し、ヘルシンキ・フィルを指揮してヨーロッパにデビュー。 2001年より2004年までロサンゼルス・フィルの副指揮者を務めた後ロンドンに本拠を移し、ロンドン・フィル、BBCフィル、フランクフルト放送響、ボーンマス響、フィンランド放送響、スウェーデン放送響、ドイツ・マグデブルク・フィル、南アフリカ共和国のKZNフィル、ヨハネスブルグ・フィル、ケープタウン・フィルなど、日本国内はもとより各国の主要オーケストラを指揮。2007年から2014年7月に勇退するまで7年半、フィンランド・キュミ・シンフォニエッタの芸術監督・首席指揮者としてオーケストラの目覚しい発展を支え、2014年9月から2018年3月まで静岡響のミュージック・アドバイザーと常任指揮者を務めるなど、国内外で活躍を続けている。現在、桐朋学園大学音楽学部非常勤講師(指揮専攻)として後進の指導に当たっている。エガミ・アートオフィス所属

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