2014年のノーベル平和賞は、パキスタン人のマララ・ユスフザイさんと、インド人のカイラシュ・サティーアーティさんに贈られることが決まった。マララさんはパキスタン人として初めてのノーベル賞受賞者となるとともに、弱冠17歳での受賞は史上最年少だ。
17歳の少女は、一体何を変えようとしたのか、そして、何を変えようと活動を続けているのだろうか。その背景にあるのは、この日本という国で生きている私たちから見れば、想像以上に根深い問題だということだ。
岩崎書店から出版された『マララ 教育のために立ち上がり、世界を変えた少女』(マララ・ユスフザイ、パトリシア・マコーミック/著、道傳愛子/翻訳)は、マララさんの半自伝的な一冊。子どもでも読めるように平易な言葉が書かれているほか、漢字にはルビがふってある。
マララさんはタリバンによる弾圧が激しくなるなかで、インターネットを通じて女の子が教育を受ける権利を訴え続けてきた。その最中で、命を狙われ、銃撃されてしまった。では、どうして、パキスタンという国はそのような状況になってしまったのか? 本書の前半では、マララさんの視点から見たパキスタンの「変化」がつづられている。
マララさんは当時、パキスタン北部に位置するスワート渓谷に住み、父親の経営する学校に通っていた。カップケーキが好きで、争いごとは嫌い。化粧やアクセサリーには興味がないけれど、鏡の前でいつまでも髪をいじっているような、ごく普通の女の子だ。
そんな平凡な日常に暗雲が立ち込みはじめたのは、2005年10月にパキスタン北部で大きな地震が起きた頃からだった。その地震を利用した声明が、FMラジオで流れ始めたのだ。
「女子は学校へ行くべきではない」
「西洋的な音楽を聴くべきではない」
「西洋的な服を着るべきではない」。
“ラジオ・ムッラー”と呼ばれるFMラジオのDJは、西洋的な文化を否定し、女子教育をやめるように訴え出した。この“ラジオ・ムッラー”の正体こそ、大地震のときにいち早く救助にやってきた保守的イスラム組織「預言者ムハンマドのイスラム法施行運動(TNSM)」のメンバーで、過激なテロ行動を繰り返すマウラーナー・ファズルッラー(現在はパキスタン・タリバン運動の指導者)である。
地震は神さまの警告だ…。ちゃんとした情報が行き届かなければ、混乱が起こるのはどこも一緒だろう。“ラジオ・ムッラー”はその地震の恐怖につけ込み、自分たちの考えを正当化していったのだった。