際限のない価格&質劣化競争が行き着く果て スタバ誕生秘話と牛丼業界の変遷より考察
●スタバ誕生
コーヒー業界でも、同じような問題意識を持っていた人もいた。そのひとりが、大手コーヒー会社に勤務していたヘンリー・ピート氏だ。
60年代前半、ピート氏は「世界一の金持ちの国が、なぜこんなお粗末なコーヒーを飲んでいるのか、理解できなかった」(前掲書p.359)と考えた。65年、勤務していた会社を45歳で解雇されたピート氏は、新しい職も見つけることができなかったので、「ちゃんとしたコーヒーを自分で焙煎して売ろう」と考えて自分の店を持つことにした。66年4月1日、ピート氏は中古の25ポンド用焙煎機、コロンビア産の豆10袋、椅子6脚を用意し「ピーツ・コーヒー&ティー」という店をバークレー市で開店した。
そして1年半後、美味しさを聞きつけた客で同店は大行列になった。
この店で働いていたジェリー・ボールドウィン氏という若者が、71年にある店を開業した。その店の名前は「スターバックス」。この店は紆余曲折を経て、今や全世界に2万を超える店舗を持つようになった。
同じ時期、ほかにも「より美味しいコーヒーを飲みたい」と考えた人たちがいた。それらの人たちによって「スペシャリティコーヒー」という考え方とカフェが生まれ、米国から世界に広がっていった。
ではこの期間、米国のコーヒー業界はどのように変わったのか。
米国の一人当たりコーヒー消費量のピークは62年だ。当時は一人当たり一日3.12杯飲んでいた。しかし消費量は次第に減少し、2003年は半減以下の1.50杯まで下がった。その後、スペシャリティコーヒー普及に伴いコーヒー消費量は増加し、07年は1.90杯飲まれるところまで回復した。ピークから下がり始め上昇に転じるまで、実に40年以上だ。米国コーヒー業界で繰り広げられた価格競争の影響は、きわめて甚大で、かつ長期間にわたったのである。
商品の価格が下がる価格競争は、一見「より安い商品」を求める消費者にとってよいように見える。しかし、大規模な価格競争は、業界に大きな変動を引き起こす。このように商品の価値が低下し、業界に甚大な影響をもたらすこともある。それを克服するには、新たな価値を生み出すことなのだ。