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「【小説】巨大新聞社の仮面を剥ぐ 呆れた幹部たちの生態<第2部>」第60回

擦り寄る腐敗した巨大新聞2社~“新聞業界のドン”による掃討作戦はどうなる?

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「Thinkstock」より
【前回までのあらすじ】
 業界最大手の大都新聞社の深井宣光は、特別背任事件をスクープ、報道協会賞を受賞したが、堕落しきった経営陣から“追い出し部屋”ならぬ“座敷牢”に左遷され、飼い殺し状態のまま定年を迎えた。今は嘱託として、日本報道協会傘下の日本ジャーナリズム研究所(ジャナ研)で平凡な日常を送っていた。そこへ匿名の封書が届いた。ジャーナリズムの危機的な現状に対し、ジャーナリストとしての再起を促す手紙だった。そして同じ封書が、もう一人の首席研究員、吉須晃人にも届いていた。その直後、新聞業界のドン太郎丸嘉一から2人は呼び出され、大都、日亜両新聞社の社長を追放する算段を打ち明けられる。


 4日後である。清々しい晴天だった。前日は弱い北風が吹き、肌寒い日だったが、その日は日中、風向きが南に変わり、気温も10度を超え、初春らしい日だった。2011(平成23)年3月11日、金曜日である。

 日本ジャーナリズム研究所会長の太郎丸嘉一は月曜日と金曜日の2日間は、築地の国民新聞本社13階の役員フロアにある相談役室に出勤する。そして、昼食を取った後、ジャナ研に向かうのが習慣になっている。つまり、太郎丸は週初と週末の2日間の午前中だけ、国民新聞相談役として仕事をし、火―木の3日間は終日、月、金の2日の午後はジャナ研の会長室をベースに活動している。

 週初の月曜日は午前10時から社長の三杯守泰が主催する役員連絡会に出席する。連絡会は編集だけでなく、販売、広告、業務を所管する役員がその週の活動予定を報告し合うので、出席しているだけで会社の状況が把握できる。昼は主筆の真田憲三と二人だけで昼食を取り、社としての主張の立脚点などについて意見交換する。

 週末の金曜日は午前10時から主筆を議長に開く編集・論説幹部会を社長とともに傍聴する。幹部会では、翌週の予定を確認、紙面作りや社説のテーマについて議論する。太郎丸はあくまでもオブザーバーで、真田から意見を求められない限り、発言しないつもりで出席していた。終了後は社長の三杯と昼食を取り、経営上の懸案事項について相談に乗る。

 大都新聞や日亜新聞でも、国民の役員連絡会や編集・論説幹部会と似たような会議を設けているが、社長が個人的な都合で欠席することもしばしばで、有名無実化しているのが実態だった。特に、大都の場合は、社交的な社長の松野弥介が外出していることが多く、会議に出席するのはせいぜい月一回で、会議自体が中止になることも多かった。

 これに対し、国民では、経営と編集の第一線を退いたはずの太郎丸が、病気にでもならない限り必ず出席する。社長の三杯も主筆の真田もよんどころない外部の会議や出張を除き、月曜日と金曜日は午後1時頃まで予定を入れず、会議は目的通りの機能を果たしていた。このことはジャーナリズムとして堕落しきっている大都、日亜両社と違い、国民ではまがりなりにも言論報道機関として役割を果たせる運営がなされている証左だった。と同時に、太郎丸が依然として、編集、経営の両面で睨みを利かせていることをはからずも裏づけていた。

 その日は編集・論説幹部会が昼過ぎまで続き、太郎丸は社長室で仕出し弁当を取りながら三杯と二人だけで午後1時半まで打ち合わせをした。内幸町の日本報道協会ビル5階のジャナ研会長室に入ったのは午後2時少し前だった。太郎丸が会長室のデスクに腰を落ち着けると、秘書の杉田玲子がコーヒーを持ってきた。

「わしは原稿を書かにゃならん。2時間ほど、電話も取り次がんでくれ。頼んじゃぞ」
「わかりました。取り次いでもよくなりましたら、お知らせください」

 難しい顔つきのまま、太郎丸が頷くと、玲子はそそくさと会長室を出て行った。ドアが閉まると同時に、太郎丸は立ち上がり、窓の外に広がる日比谷公園に目をやり、呟いた。

「急がなにゃならんかな」