次期アメリカ大統領に決まったドナルド・トランプ氏の大邸宅の裏庭に、巨大テントが建てられたことがある。ベドウィン(遊牧民)が砂漠で過ごす伝統的な住居。そこにはラクダもいた。
テントに泊まっていたのは、ジャスミン革命の勢いが及んで紛争になったリビアで、2011年10月20日に死亡した、リビア元最高指導者のムアンマル・カダフィ大佐。「砂漠の狂犬」と恐れられた独裁者だ。
テロ支援国家としてアメリカから敵対視されてきたリビアだが、2003年に大量破壊兵器を破棄し査察団を受け入れたことで、06年にはアメリカとの国交が正常化した。
09年9月にカダフィ大佐が訪米したのは、国連総会に出席するためである。カダフィ大佐がテント設営を希望したのはニューヨークのセントラルパークだったが、当局から却下された。テントが建てられたのは、ニューヨーク近郊のベッドフォード。トランプ氏所有の土地である。だが建築法に違反するとして、行政当局から撤去を求められる。そこでトランプは、自宅の裏庭にカダフィのテントを受け入れたのだ。
カダフィ大佐が外国を訪問する際、テントを持っていくのは常のことだった。ロシアを訪問した際にはクレムリン宮殿に、フランス訪問時には迎賓館にテントを建てた。
テントやラクダを空輸するのは、ホテルに泊まるより費用がかかる。ベドウィンの子として生まれた、という出自を強調するためのパフォーマンスであった。テントもベドウィンが使うようなものではなく、軍事用だという説もある。バーベキューグリルや大型のフラットスクリーンテレビも備わり、ベドウィンの生活とはかけ離れている。
09年、ベレー帽を被り国連総会の一般演説に立ったカダフィ大佐は、国連憲章の冊子を両手で広げて「すべての国が平等と記されている」と、その部分を示した。そして安全保障理事会で5カ国の常任理事国だけが拒否権を持っていることに対して、「憲章に反し受け入れられない」と断じ、安保理を「テロ理事会」と罵り、冊子を放り投げた。
カダフィ大佐の功罪
トランプ氏は昨年、米CNNのインタビューに「サダム・フセインやムアンマル・カダフィが権力者でいたほうが世界にとっては良かった」と答えている。