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中村芳平「よくわかる外食戦争」

キリン、似たようなビールばかり売る業界と決別…多彩な驚きのビール販売に大転換

文=中村芳平/外食ジャーナリスト

 星野氏とキリンHD長の磯崎氏は非常に親しい関係にある。磯崎氏は77年に慶大経済学部卒業、キリンビールに入社後、88年8月から米国コーネル大学ホテル経営学部に留学した。星野氏は大学院で磯崎氏は学部だが、両者は慶大、コーネル大で同窓である。日本にはコーネル大学卒業生の同窓会組織があり、ホテル、食品、外食産業など錚々たる面々が名を連ね、定期的に交流を行なっている。星野リゾートの軽井沢のホテルが会場になるケースが多いといわれる。

 これは推定だが、磯崎氏と星野氏の親しい関係から見て、キリンのヤッホーブルーイングへの出資、資本・業務提携は比較的早い時期に決まっていたと思われる。キリンにとっては渡りに舟のビッグ案件だった。というのも、キリンは全国に9工場を展開しているが(業界トップのアサヒビールは8工場)、ビール類戦争でシェアを減らしていくなかで、工場が稼働率を落として苦しんでいたからだ。

 9期連続増収増益中のヤッホーブルーイングと提携し、15年から同社の製造の4割を受託することで、工場の稼働率は上がる。そればかりでなくキリンは今年4月、クラフトビールを代表するブランド「よなよなエール」の大樽を製造、飲食店向けに販売を始めた。クラフトビールやビアパブ・ブームが広まるなかで、人気のある「よなよなエール」は飲食店が欲しがる商材である。キリンは飲食店開拓の武器に「よなよなエール」の樽生を持つことになったのだ。

 キリンはヤッホーブルーイングとの提携を引き金に、自らもクラフトビール市場への参入を決断した。

 もともとキリンは横浜工場内にマイクロブルワリー併設の店舗を保有し、古くからクラフトビールを製造・販売してきた。

 小規模の醸造施設は、大型商品を開発する時の実験的な施設にもなったからだ。キリンは15年3月に横浜工場内に「スプリングバレーブルワリー横浜」を開業、15年4月には東京・渋谷区代官山にスプリングバレーブルワリー東京を開業した。これによってキリンはクラフトビール業界のリーディングカンパニーに躍り出た。

 キリンはクラフトビール市場への本格参入に合わせるように15年10月、全国47都道府県ごとに味の違いや個性を楽しめる「47都道府県の一番搾り」を、16年の春から夏にかけて順次発売すると宣言した。「47都道府県の一番搾り」は、クラフトビール感覚でつくられるビールだ。これまでの日本の単品大量生産で効率を追求するビールづくりとは異なり、非効率でコストがかかる。だがキリンは、ビールの多様化戦略に舵を切ったのである。

中村芳平/外食ジャーナリスト

中村芳平/外食ジャーナリスト

●略歴:櫻田厚(さくらだ・あつし)

1951年、東京都大田区生まれ。高校2年生の時に父が急逝し大学進学を断念、アルバイトして家計を助ける。都立羽田高校卒業、広告代理店勤務。72年に14歳年上の叔父(モスフードサービス創業者・櫻田慧)に誘われ「モスバーガー」の創業に参画。フランチャィズ(FC)オーナーなどを経て、77年に同社入社。直営店勤務を経て教育・店舗開発、営業などを経験。90年、初代海外事業部長に就任、台湾の合弁事業の創業副社長として足掛け5年半でモスバーガーを13店舗展開。1985年の株式上場と244店舗展開(16年9月末)、そして同社の海外展開の基礎をつくった。慧氏は97年にくも膜下出血で急逝、享年60。櫻田氏は98年社長に就任、14年会長兼社長に就任し、今年6月、社長を常務取締役執行役員の中村栄輔氏(58)に譲った。社長交代は18年ぶりのことだ。櫻田氏は中村氏に国内事業、新規事業を任せ、海外事業に全力を注ぐ構えだ。「モスバーガー」を世界のブランドにするという、夢の実現に向かって挑戦しようとしている。

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