写真週刊誌の草分け「FOCUS(フォーカス)」(新潮社)。その創刊時から活躍した伝説のカメラマン、小平尚典が今、いち早く現場を取材しスクープとなった群馬県・御巣鷹山での日航機墜落事故の全貌を明らかにした。その真実とは――。
1985年8月12日、18時56分頃
日本航空123便墜落事故の第一報を耳にしたのは1985年8月12日、仕事も終わり愛車のボルボ245GLEで帰路に向かう途中だった。家に帰ったら1歳になったばかりの娘とお風呂でも入ろうかと考えていたさなか、当時としてはまだ珍しいショルダー携帯電話が突然鳴り出し、航空機が行方不明であることが同僚のカメラマンから告げられた。そして慌ててNHKのラジオ番組を聞くと、「羽田発伊丹行きのJAL123便が18時56分頃、静岡上空で消息を絶っている模様――」と何度も同じ情報が繰り返されていた。
私はその足で新潮社に向かった。ラジオでは断片的な情報をつないで、「長野県、群馬県境の上野村、三国峠、南相木村当たりの山中に落ちた、米軍機から横田基地を通じて報告があり、捜査を開始したもよう」と報じていた。南相木村は取材で何度も行っていたので、土地勘があった。そこで私の車を使い、私とフォーカスの記者の2人で南相木に向かうことになった。
東京を出発したのは午後8時半、南相木村の目的地に着いたのは深夜0時を過ぎていた。車で村に近づくにつれ、警察車両や消防団が目に入ってきたが、さらに進んでいくと警察官に小学校の校庭に誘導された。周囲を見渡すと報道関係者は私たちだけだった。車をグラウンドの片隅に付け、運動会用のテントが張られた対策本部を覗くと、消防団員らしき人たちと駐在さんがいましたが、これといった情報はない。夜明け前に自衛隊が動くとの情報を得て、そのあとをついて行くことになった。
自衛隊のジープについて、どのくらい進んだだろうか。すでに車で入れる道はなくなり、自衛隊は歩いて現場へと向かった。私たちもそのあとを追ったが、御巣鷹山はまさに樹海のような山林、相手は自衛隊。素人がどんなに力んだところで追いつけるわけがない。あっという間に自衛隊を見失ってしまった。そして目の前には小高い崖が表れた。重い機材をもって来たテレビクルーや革靴で現場にやってきた新聞記者たちはここでリタイア。最後に残されたのは私たち2人だけだった。
そして崖を登りきると、白い煙が立ち上がるのが目に入り、カメラの望遠レンズを覗くとそこには墜落現場があった。
ベテランの登山家ではないから、現場へ行くための道などわからなかった。場合によっては遭難するかもしれない。それでも沢つたいにまっすぐ降りて行けばきっと現場に行けるに違いないという確信があり、そこで思い切って現場に向かった。
そして樹海のような中を進みながら沢の岩を一つひとつ超えていくと、徐々に視界が開けてきた。そこには機械の部品のようなものが散らばり、何やら埃っぽい。さらに進むと岩にトランプのエースが落ちている。さらに進むと一気に視界が広がり、倒れた木々の隙間から翼の破片らしき大きな鉄の塊が見えた。
周囲には木々の香りとともにきな臭い、油臭い香りが立ち込めていた。すでに現場に到着していた消防団の人たちが私たちを生存者と間違えて声をかけてきたので、「違います、プレスの者です」と手を振りながら、彼らのほうに近づいて行った。消防団の人々は、何をどうしたらよいのかわからないままに、茫然と山の中腹の丘に坐っている。私も彼らの近くに座って、夢の島のような残骸を見ていた。
生存者
すると、飛行機の残骸からキラリと光るものが私の目に入った。その時、私は300ミリの望遠を覗き込んだ。光るものとは指輪。生き残っていたパーサーが渾身の力を振り絞って手を振っていたのだ。「墜落した飛行機は放射線を放つアイソトープを積んでいるから、むやみに近づいてはいけない」と言われていたが、生存者の可能性にその場にいた人たちは一斉に破損した機体に駆け寄った。
すると、機体の奥のほうから「助けて……」というか細い声が聞こえる。誰かが「ここの奥だ」と叫ぶと破損した機体の中に生存者がいた。その後、駆けつけた自衛隊員や警察官などが生存者を発見し、救出に奔走した。なかには小学生の女の子もいた。乗員・乗客524人中4人の生存者が発見された。
その後、遺体の収容が行われた。なかにはまだ息をしているかのような少年の姿もあった。午後1時過ぎ、自衛隊の隊長から「もう下山しないと帰れなくなる」といわれ、山を下りた。岐路もまた帰れる当てない道のりを探りながらの下山だったが、その途中、茂みの中に放り出された第2エンジンを発見した。その姿がなぜか、事故の惨状を感じさせた。
その後、5時間以上かけて下山し、もはやもう体力の限界に来た頃、小型消防車に乗せてもらった。
ある日突然、前触れもなく大切な人を失うショック、その苦しさ、寂しさはできれば誰も経験したくない。だからこそ、御巣鷹山の日航機墜落事故は誰の心にも深く刻み込まれているのではないだろうか。
(構成=松崎隆司/経済ジャーナリスト)