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藤和彦「日本と世界の先を読む」

新型コロナ、変わる死生観…家族の死を看取れず遺骨で対面、「臨終コンプレックス」も

文=藤和彦/経済産業研究所上席研究員
新型コロナ、変わる死生観…家族の死を看取れず遺骨で対面、「臨終コンプレックス」もの画像1
「Getty Images」より

 新型コロナウイルスによる死者数は世界全体ですでに約28万人に達している(5月10日現在)が、いまだに終わりの見えない闘いが続いている。

 このような状況から「今回のパンデミックは人類の死生観を変えてしまうのではないか」という問いが頭をもたげるが、『サピエンス全史』の著者で歴史家のユヴァル・ノア・ハラリ氏は「近代の世界を形成してきた『人間は死を打ち負かすことができる』という信念が今回のパンデミックでもいささかも揺るがない」とした上で、「新型コロナウイルスの出現によって、私たちは人間の命を守る努力をさらに倍増させることから、人類の死生観は変わらない」と主張する(5月4日付クーリエ・ジャポン記事)。

 確かにそうかもしれない。先進国では戦後、科学技術の進歩により平均寿命が大幅に延び、「死を社会から排除し快適な生活を目指していこう」とする傾向が強まっていたのは事実であるが、今回のパンデミックはこの安易な思い込みに大きな一撃を加えたのではないだろうか。

 新型コロナウイルスが怖いのは、約8割が軽症または無症状で済む半面、重症化する人も一定の割合で存在することである。その違いは基礎疾患の有無や年齢などからきているとされているが、このウイルスの「ロシアンルーレット」的な面が私たちを不安に掻き立てる。さらに怖いのは、発症から死に至るまでの期間が非常に短い点であり、私たちはついつい「次が我が身」と考えてしまう。

 死者数が世界最多の米国(約7万9000人)の中で最も深刻な被害を蒙っているニューヨーク州では、新型コロナウイルスの犠牲者の遺体が行き場を失い、ニューヨーク市ハート島にある米国最大級の公営墓地に、墓標もなく集団埋葬される事態となっている。

 先進国で戦場以外で死がこれほどリアルに感じられたことは、戦後初のことかもしれない。人々は再び理不尽な死に再び直面させられているのである。

臨終コンプレックス

 新型コロナウイルスで亡くなることは、遺される家族にとってもつらい現実が待っている。感染防止の要請から最期のお別れを果たすことができないのである。日本人の多くがこの残酷な事実を知ったのは、3月末に新型コロナウイルスで亡くなった志村けん氏の遺族が、遺骨になってから初めて志村氏と対面できたという「不都合な真実」をメディアが報じてからだろう。

 最期を看取る機会を奪われることは世界の人々にとって共通の悲劇であるが、日本人にとって特に深刻なダメージとなるのではないかと筆者は考えている。最期の瞬間に間に合うことができなかったことを悔やむ「臨終コンプレックス」という日本特有の現象があるからである。

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