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江川紹子の「事件ウオッチ」第156回

【乳腺外科医事件、高裁で逆転有罪】科学軽視の“だるま落とし判決”が与える衝撃

文=江川紹子/ジャーナリスト
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※参考画像:東京高等裁判所(wikipediaより)

 男性の胸部外科医が手術後の女性患者の胸をなめるなどしたとして、準強制わいせつの罪に問われ、一審で無罪となった事件で、東京高裁(朝山芳史裁判長、伊藤敏孝裁判官、高森宣裕裁判官)は、医師を懲役2年の実刑とする、逆転有罪判決を出した。

 同高裁は、これまでの審理で議論の前提となっていた証言について、判決で突如信用性に疑問を投げかけ、証明力を減殺させた。その一方で、一審で疑問符がつけられた科学鑑定は、技官の経験などから信用できると認定。鑑定の科学性に頓着せず、これまでの議論の積み重ねの前提をたたき出す、だるま落としのような判決に、衝撃が広がっている。

議論の前提となっていた看護師証言

 裁判では、1)被害者の訴えは、手術後の「せん妄」による幻覚だった可能性があるか否か 2)被害者の胸をガーゼで拭って採取した微物鑑定の科学性、証明力――が争点になった。

 患者A子さんの訴えによると、男性医師は2016年5月10日午後2時55分頃から3時12分頃までの17分間に、2回にわたって病室で、手術をしなかった左側の胸をなめたり吸ったりしたうえ、ベッドサイドで自慰行為に及んだ、という。

 病室は4人部屋で満床。各ベッドの周囲は、床上35センチの高さまで薄手のビニールカーテンで囲われていた。A子さんによれば、男性医師は、1回目は女性看護師がカーテンの中に入ってくると逃げるように出て行き、2回目はA子さんがカーテンの外にいた母親を呼ぶと、やはり逃げていった、とのことだ。

 一審の東京地裁は、A子さんの証言について「具体的で迫真性にとみ、供述の一貫性がある」と認定。供述調書には書かれていないのに法廷証言で語られた事実や、看護師が出入りしたり母親が近くにいる所で医師が自慰行為に及んでいたなどという訴えなどに疑問符をつけながらも、信用性を認めた。

 そのうえで、検温の看護師に「ふざけんな、ぶっ殺してやる」などとつぶやくなどのA子さんの状態や専門家による証言を前提に、手術時の麻酔薬が通常より多く投与される一方、鎮痛剤の投与は少なく疼痛を訴えていたことから、当時のA子さんはせん妄に陥りやすい状態にあり、それに伴う性的幻覚を体験していた可能性がある、と判断した。

 控訴審では、裁判所がA子さんがせん妄状態にあったのかどうかなどを「関心事項」として示し、その訴訟指揮によって、検察・弁護側がそれぞれ推した専門家の証人尋問が行われた。

 検察側証人の獨協医科大埼玉医療センターの井原裕教授は、「私はせん妄研究の専門家ではないが、司法精神医学の専門家である」として、せん妄を飲酒による酩酊の程度にたとえる、独自の論を展開。「ふざけんなよ、ぶっ殺してやる」発言が出た時点では、A子さんは「病的酩酊」「複雑酩酊」にあたる「過活動型せん妄に伴う興奮」状態だったが、その後「単純酩酊」にあたる「低活動型せん妄」に移行し、被害を訴えた時点では、「ほろ酔い」状態で、「ほろ酔いの人が幻覚を見るわけがない」と述べた。そして、被害の訴えは性被害者の証言の典型として信用できる、と断言した。

 井原教授がオリジナルな説を展開したのとは対照的に、弁護側証人の埼玉医科大国際医療センターの大西秀樹教授は、国際的に使われている2つの診断基準(DSM-5とCAM)を用いて、A子さんの当時の状況を分析。A子さんの状態は、せん妄に関するDSM-5の5つの診断基準をいずれも満たし、CAMにおいてもせん妄と認定できる、と判定した。また、せん妄からの回復は「(酔いが覚めるように)直線的に回復していくとは考えない」として、井原説を否定した。せん妄に関する論文が多く、いわばせん妄の専門家である大西教授は、自身が体験したせん妄の事例も挙げて解説した。

 上記のように、いずれの証人も、看護師3人や同室の患者を含む一審での証言を前提に、主張を展開していた。検察側も、一審では「病院関係者は口裏合わせをしていて信用できない」と述べたものの、控訴審の弁論では、そのような主張はしていない。それどころか、看護師証言を前提にした井原証言を全面的に支持している。

看護師証言をめぐる高裁の“ご都合主義”

 ところが判決では、「ぶっ殺してやる」という発言がカルテに書かれておらず、A子さんの状態が「せん妄」とカルテに記載されていないことを挙げ、看護師証言は「病院関係者による証言であるから、その信用性は慎重に行う必要がある」と指摘。その証言は「弁護人や病院関係者の影響をうかがわせる」などとして、信用性を減殺させたうえで、一審を含めた専門家証人による「せん妄」との判断も「これらの事実(=看護師証言)が認定できないとすると、各証言の信用性も大きく損なわれる」とした。

 だるま落としで、下のほうの木片をたたき出すように、一審、控訴審と積み上げてきた議論の前提をはじき飛ばした東京高等裁判所。もし、一審の記録を読んで病院関係者の証言の信用性に疑問を抱いたのであれば、裁判所は彼らを控訴審に呼んで、その証言態度を確かめ、偽証しているかどうか自ら問いただせばよかったのではないか。

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