
菅義偉首相は、広報戦略を変えようとしているのかもしれない。1月4日の年頭記者会見での冒頭発言を聞いていると、以前より丁寧な説明をしようとする姿勢がほの見えた。ただ、その変化は“微修正”程度で、多くの国民の共感や納得を得られる発信になっているかというと、かなり疑問だ。
質疑応答メイン、記者側が司会進行、一方的な打ち切りナシ…中曽根康弘元首相の“記者会見メモ”
「今後、国民の皆様に丁寧にコミュニケーションを取ることに努めていきたいと思っています」
――菅首相は年末、12月25日に行った記者会見で、こう述べていた。これまでのコミュニケーションはうまくいっていない、という自覚はあるのだろう。
ならば、国民とのコミュニケーションの場のひとつである記者会見の持ち方は、根本的に考え直したほうがいいのではないか。政権側が自発的に動かないのであれば、総理記者会見を「主催」しているはずの内閣記者会(記者クラブ)がもっと働きかけるべきだろう。
では、何をどう変えるのか?
その参考になる資料が、国立国会図書館にある。中曽根康弘元首相が保存していた自身の政治活動に関わる資料、講演録を、晩年、同図書館に寄託した。そのなかに、首相時代の記者会見での発言録、記者側が事前に提出していたとみられる質問事項などの資料が含まれ、公開されている。
会見での発言録はいずれもコピーで、「内閣」の罫紙に首相のスピーチや記者との一問一答が手書きされている。なかには「報道室作成」と作成部署が明記されたものもある。ワープロがまだ普及していなかった時代だ。官邸報道室が記者会見のやりとりを録音し、テープ起こしをし、作成した記録のコピーを中曽根氏側に渡したと思われる。
原本は公文書といえるだろうが、国立公文書館の資料検索を行っても見当たらない。原本は破棄され、中曽根氏が保管していたコピーだけが残ったのだろう。
やりとりを読んで気づくのは、中曽根首相(当時)は必ずしも毎回冒頭発言はせず、会見は記者と首相のやりとりがメイン、ということだ。
たとえば、1985(昭和60)年6月27日に行われた「第102通常国会閉幕に伴う総理記者会見」。いきなり質疑応答に入り、1時間で23の質問に答えている。
同年12月29日に収録された「総理年頭用記者会見」(当時は、年末に収録され、元日朝にNHKで放送されていた)も、冒頭から質疑で、約1時間に19の質問を受けた。
一方、日米貿易摩擦解消のための対外経済政策を発表した同年4月9日の記者会見では、冒頭に中曽根首相が延々とその政策の内容を説明用のボードを使って語っている。会見時間は40分で質問は10問。ただ、それは首相側が打ち切ったわけではない。
最後に司会が「他に質問はございませんか。それでは、これで記者会見を終わります」と結んでおり、質問が尽きるまでやりとりが行われたことがわかる。
その司会者は、冒頭に「最初は総理からこのことを決定したことについての御所見を承けたまわって、それから我々の方から質問をもうしたいと思います」と述べているように、明らかに記者が務めている。
質疑応答のなかで、首相が質問にすべて答えていなければ、記者のほうから当たり前のように“更問い”が出て、答えを求めていた。