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江川紹子の「事件ウオッチ」第168回

首相記者会見を「真剣勝負」にするために必要な「脱・官邸主導」…江川紹子の提言

文=江川紹子/ジャーナリスト
首相記者会見を「真剣勝負」にするために必要な「脱・官邸主導」…江川紹子の提言の画像1
1月4日の記者会見で、江川氏からの質問に答える菅首相(首相官邸HPより

 菅義偉首相は、広報戦略を変えようとしているのかもしれない。1月4日の年頭記者会見での冒頭発言を聞いていると、以前より丁寧な説明をしようとする姿勢がほの見えた。ただ、その変化は“微修正”程度で、多くの国民の共感や納得を得られる発信になっているかというと、かなり疑問だ。

質疑応答メイン、記者側が司会進行、一方的な打ち切りナシ…中曽根康弘元首相の“記者会見メモ”

「今後、国民の皆様に丁寧にコミュニケーションを取ることに努めていきたいと思っています」

――菅首相は年末、12月25日に行った記者会見で、こう述べていた。これまでのコミュニケーションはうまくいっていない、という自覚はあるのだろう。

 ならば、国民とのコミュニケーションの場のひとつである記者会見の持ち方は、根本的に考え直したほうがいいのではないか。政権側が自発的に動かないのであれば、総理記者会見を「主催」しているはずの内閣記者会(記者クラブ)がもっと働きかけるべきだろう。

 では、何をどう変えるのか?

 その参考になる資料が、国立国会図書館にある。中曽根康弘元首相が保存していた自身の政治活動に関わる資料、講演録を、晩年、同図書館に寄託した。そのなかに、首相時代の記者会見での発言録、記者側が事前に提出していたとみられる質問事項などの資料が含まれ、公開されている。

 会見での発言録はいずれもコピーで、「内閣」の罫紙に首相のスピーチや記者との一問一答が手書きされている。なかには「報道室作成」と作成部署が明記されたものもある。ワープロがまだ普及していなかった時代だ。官邸報道室が記者会見のやりとりを録音し、テープ起こしをし、作成した記録のコピーを中曽根氏側に渡したと思われる。

 原本は公文書といえるだろうが、国立公文書館の資料検索を行っても見当たらない。原本は破棄され、中曽根氏が保管していたコピーだけが残ったのだろう。

 やりとりを読んで気づくのは、中曽根首相(当時)は必ずしも毎回冒頭発言はせず、会見は記者と首相のやりとりがメイン、ということだ。

 たとえば、1985(昭和60)年6月27日に行われた「第102通常国会閉幕に伴う総理記者会見」。いきなり質疑応答に入り、1時間で23の質問に答えている。

 同年12月29日に収録された「総理年頭用記者会見」(当時は、年末に収録され、元日朝にNHKで放送されていた)も、冒頭から質疑で、約1時間に19の質問を受けた。

 一方、日米貿易摩擦解消のための対外経済政策を発表した同年4月9日の記者会見では、冒頭に中曽根首相が延々とその政策の内容を説明用のボードを使って語っている。会見時間は40分で質問は10問。ただ、それは首相側が打ち切ったわけではない。

 最後に司会が「他に質問はございませんか。それでは、これで記者会見を終わります」と結んでおり、質問が尽きるまでやりとりが行われたことがわかる。

 その司会者は、冒頭に「最初は総理からこのことを決定したことについての御所見を承けたまわって、それから我々の方から質問をもうしたいと思います」と述べているように、明らかに記者が務めている。

 質疑応答のなかで、首相が質問にすべて答えていなければ、記者のほうから当たり前のように“更問い”が出て、答えを求めていた。

中曽根首相時代には当たり前だった“更問い”、だからこそ生まれた記者との“真剣勝負”

 たとえば――。

 対外経済政策のなかには木材等の関税引き下げの項目があり、ある記者が引き下げのスケジュールとそれに伴う国内林業への対策、その財源について質問した。

 中曽根首相は、国内林業関係者に対する謝罪の言葉を述べ、5カ年計画で林業のための政策を行うと約束。関税引き下げについては「3年をメド」などと答えた。国内対策についての財源には触れなかった。

 すると記者のほうから「財源の方は。財源は、国内対策の財源を」と、問い詰めるような問いが出た。

 これに対する首相の答えは、歯切れがよくない。

「今その特別枠を作るとかなんとかということを言う段階ではない。まだ概算要求じたいが出来ていないし、今の予算が通ったばかしですから。そういう意味では、これからじっくり作っていくと」

 おそらく、できれば避けて通りたかった点ではなかったか。そこを見逃さなかった記者が突っ込んだ格好だが、それでも中曽根首相は、その年が国際森林年であることを挙げて、「林相をよくするように我々はそういう政策を強力にスタートさせたい、そう思っているわけです」と、林政会改革に前向きな姿勢で回答を締めくくった。

 売上税法案が廃案となった通常国会閉会後の記者会見(1987【昭和62】年5月29日)で、中曽根首相は「一寸急ぎすぎた」「誠に残念」「申し訳ない」と率直に無念の弁を述べている。そのうえで、廃案になった経緯を説明しつつ弁明を行い、税制改革の必要性を訴え、衆院議長のあっせんで税制改革協議会が設置されたことを「一歩前進」と評価してみせた。

 当時、自民党総裁は3選が禁じられていたが、なんらかの形で続投するのではないか、との憶測が流れていた。会見で記者から、自身の去就についてくり返し問われ、さすがにいささかキレ気味になったのか、「自民党総裁は党則を守りますと、そういうこともはっきり申し上げております」と言い切る場面もあった。

 記録からは、当時の記者会見でも、各社が事前に質問事項を出し、首相がそれに基づいて準備をしたうえで記者会見に臨んでいるが、その答弁をめぐって記者がさらに質問し、回答漏れがある場合は重ねて答えを求めるなど、首相と記者の間で、双方向のコミュニケーションがなされていることがわかる。

 “更問い”がなされ、しかも質問が尽きるまでやりとりが行われる会見では、答える側は答えたくない質問を無視したり、答えをはぐらかす、ということはできにくい。両者の間には一定の緊張感が生まれ、真剣勝負になる。首相側は官僚の作った文書を読み上げているだけでは済まない。政府にとってマイナスの状況を語らなければならない場合でも、最後はプラスの印象を与えるべく知恵を絞るなど、答える側がその能力を試される場面もあった。

 翻って今の首相記者会見はどうか。

記者を規制でがんじがらめにし、菅首相が答えたくない問いにはまともに答えない官僚答弁

 1月4日のように、新しい情報発信がない場合でも、首相は冒頭に自身の実績をアピールする冒頭発言を行う(もっとも、安倍晋三前首相がプロンプターを使って長々と演説を行ったのに比べれば、菅首相はずっと短い)。

 クラブ主催のはずなのに、なぜか司会は内閣広報官が行う。しかも、この司会者が会見において強大な権限を振るう。質問者は司会が指名し、質問は1人1問に限定。質問者はスタンドマイクの前に進み出て質問を行い、質問が終わり次第「マスクを着用のうえ、自席に戻る」よう求められる。そうなると、“更問い”はできない。

 最近は司会の指示事項が増えた。1月4日の記者会見では、記者の質問が始まる前に、「自席からの追加質問はお控えいただく」旨の“お達し”も追加された。

 こうして司会者が記者を規制でがんじがらめにして、首相が答えたくない問いは、まともに答えなかったり、無視したりするのを助けている。

 たとえば1月4日の記者会見では、幹事社質問のなかに1都3県を対象にした緊急事態宣言について「具体的なスケジュール」や「事前告知期間の有無」を尋ねる問いがあった(幹事社は複数の質問が許される)。しかし、菅首相のその点の回答を避けた。

 本来であれば、再質問をして回答を求めるべきところだろう。ところが、そんな当たり前のことが、今の首相会見ではできない。それどころか、記者が首相の発言を確認しただけで、司会は「追加質問はお控えください」と叱りつけた。

 安倍前首相もそうだったが、記者クラブサイドからの質問には、菅首相は用意されたペーパーを読み上げるだけで終わることが多い。これでは、官僚の作文を首相の口で朗読しているだけである。

 1月4日の記者会見でも、読売新聞記者の「今回の(1都3県への)緊急事態宣言に当たっては、経済への打撃をやわらげるための対策として、何を考えているか」という質問に対し、菅首相は手元の資料に目を落としながら、「飲食での感染リスク」の高さを語り、対策は「飲食を最優先」と述べた。

 問いと答えがまったくかみ合っていないうえ、内容は冒頭発言のくり返しだった。

 緊急事態宣言を検討していると聞いて、多くの人たちが、自分の業種にはどういう影響が出るのかと固唾をのんで記者会見を見つめていただろう。この首相の回答には、脱力したに違いない。

 たまたま、次に私が指名されたので、自分の質問の前に、読売記者への首相答弁の確認を行うことにした。

「飲食に集中するということは、昨年4月のように教育、文化、スポーツ、いろんな経済活動をすべてを止めてしまった緊急事態宣言とは違うモノをイメージされているということでいいのか」

 すると菅首相は、手元の資料ではなく、私の顔を見ながら、こう答えた。

「この約1年のなかで学んできた、どこが問題かということ、かなり明確になってきましたので、そうしたことを踏まえて諮問委員会の先生方に諮った上で決定をさせていただきたい。そういう考え方になれば、やはり限定的、集中的に行うことが効果的だと思っています」

 私が「限定的、集中的とおっしゃいましたか」と再確認すると、菅首相は「はい」とうなずいた。

 この日の会見を通して私が理解したのは、以下のことだ。

 官僚が書く問答集は、できるだけ言質を取られまいと、情報を限定しようとする。首相がそれを読んでいるだけでは、いわゆる「官僚答弁」となり、国民が知りたいことがストレートに語られない。問いを重ね、首相が手元の資料から離れて、自分の言葉で答えた時に、初めて首相自身の考えが伝わり、コミュニケーションが成立する。今のようにネットやテレビで生中継される記者会見では、それはそのまま国民とのコミュニケーションとなる。

 こうして首相の考えがわかれば、国民はそれに対する自分自身の意見を述べることができるし、政権への評価を決める参考にもなる。

 記者は、いわば国民の代理人だ。国民にはいろんな立場、考えの人がいるのだから、質問する記者もできるだけ多様であり、多くの記者に質問機会があることが望ましい。曖昧な答えや答弁漏れには、当然“更問い”が行えるようにしなければならない。やりとりを重ねて、首相が官僚の作文を読むだけでなく、首相自身の言葉で自らの考えを述べてもらうように努めるのが、記者会見における記者の仕事だ。

 そのような本来の記者会見にするためには、司会者の役割は重要だ。首相記者会見の主催者たる記者クラブは、司会役を取り戻すよう奮起してもらいたい。今のような「官邸主導」の会見を続けるのは、ジャーナリズムの堕落である。

 また首相サイドにも、まともなコミュニケーションが成り立つ記者会見は、自分の考えが国民に伝わる機会になる、という理解を深めてほしい。今のような危機時のリーダーには、国民とのコミュニケーションが不可欠であることを考えれば、記者会見の正常化はぜひとも必要だと思う。

(文=江川紹子/ジャーナリスト)

江川紹子/ジャーナリスト

江川紹子/ジャーナリスト

東京都出身。神奈川新聞社会部記者を経て、フリーランスに。著書に『魂の虜囚 オウム事件はなぜ起きたか』『人を助ける仕事』『勇気ってなんだろう』ほか。『「歴史認識」とは何か - 対立の構図を超えて』(著者・大沼保昭)では聞き手を務めている。クラシック音楽への造詣も深い。


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