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堂々と売春を続けてきた「かんなみ新地」が閉鎖…70年間、灯り続けた営みと文化【沖田臥竜コラム】

文=沖田臥竜/作家
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かんなみ新地
かんなみ新地

 それは、筆者が原作を務めるドラマ『ムショぼけ』の撮影で使わせてもらった各ロケ場所にお礼をするために、尼崎市内を車で回っていたときのこと。まだ緊急事態宣言の最中だった。

 神戸方面から国道2号線を出屋敷線へと右折した私は、信じられない光景を目にすることになる。同時に「これはさすがにまずいだろうー」と、言葉に出さずにはいれなかった。「かんなみ新地」と呼ばれる風俗街が堂々と営業していたのだ。このご時世に、こんな状況を社会が許すだろうか。

 そして案の定、その危惧は的中することとなり、緊急事態宣言解除後、かんなみ新地は70年の歴史に幕を下ろすことになったのだ。

 その一報が知り合いの新聞記者から入り、この記者の依頼を受けて、取材のためにかんなみ新地へ向かってみた。すると一帯は、すでにパトカーが停車しており、複数の警察官が警戒にあたっていた。風俗街としてのかんなみ新地はすでに終わっていたのだ。

 かんなみ新地は、飲食店の名目の店が、これまで堂々と売春行為を行ってきていたが、行政も司法もそれを見て見ぬ振りをしてきた。だが、ついに警察が踏み込んだのである。

 ちなみにわたしは、この地域について少しばかり詳しかったりする。料金システムは15分1万円(これを1本と呼ぶ)。スカウトなどが間に入れば変わるが、その売上を基本的に女の子と店側が折半。さらに、呼び込みのおばちゃんには、客1人につき1000円が入るようになっている。全盛期かつ繁忙期の正月などは、他府県から若者が観光気分で来るほどで、人気の女の子になれば、1日に「65本」という本数を叩き出していたりした。それはもう、今となっては遠い昔のことだが……。

 かんなみ新地の思い出といえば、以下のコラムを読んでほしい。

尼崎のスケベな男どもの聖域―かんなみ新地―

 ―前科8つ目は『食品衛生法違反』で御用!  罰金40万円なり―

  私の8つを数える前科のなかには、「食品衛生法違反」というのがある。私をパクッた暴力の刑事いわく「ヤクザをこんな罪名でパクんのはじめてやな~」。だったらパクんな!であるのだが、「だって、署長がうるさいねんもん~」。トホホであるが、それくらい当時としては珍しい事案だった。

 さて、事の顛末であるのだが……。

 まだ私がヤクザとして駆け出しの時代の話である。私の地元尼崎には万札一枚で堂々と「本チャン」をやらしてくださる、いわゆる”新地”が存在する。スケベな男共には、大変ありがたい聖域となっている。

 しかも、お相手して下さる女性は、レベルの高い女の子ばかり。そのピンク街の週末の凄まじさといったら、ちょっとしたお祭り以上の騒ぎの様相を呈しており、県外からもスケベ共が大挙して観光がてらに抜きにくるほどだった。

 恐喝以外ろくなシノギをもっていなかった当時の私は、その光景を見つつアホなコトをアホな頭で閃いてしまった。

 ここで屋台でもやればウハウハになり、直参だってなれるんじゃなかろうか(なれる訳なかろうが)と。

 早速、当時乗っていたクラウンを売りさばき、屋台用の軽自動車を安値で叩いて買い上げ、商売を始めるコトにしたのだった。選んだネタは、キャベツに卵をからめてお好み風に焼く「一銭焼き」。当然、電気が必要となったので、近くのラーメン屋のおっちゃんに頼み込むと、タダで電気を使わせてもらえるコトができた。だが実際、笑けてしまうくらいあまりにも売れなさ過ぎて、当初予定していたウハウハも、それで直参に駆け上がるコトもできなかったのだ。それでも雨の日も風の日も当番明けの日も休まず無許可営業を続けたおかげで、様々な人間模様を垣間見るコトができた。

 脇道から顔をマスクで隠し、そそくさと店へと入る女の子。 
 お金を貯めてアメリカに留学するといいつつ、店がはねれば稼いだ金でホストクラブに通う娘さん。  
 ゴキブリが店に出たからといって、ヤクザの私にゴキブリ退治をさせやがった遣り手ババア。 
 ここに相談に行けと言われたと言って、族車で営業妨害をしに来た男の子。
 夜中にマヨネーズを差し入れにきてくれた女の子。

 たった7カ月(うち6カ月間は所轄の暴力(警察)に内偵を入れられていたことがのちに発覚)だったが、そこで知りあった人たちの中には、いまだに良い付き合いをしている人達もいる。

 願わくば、この先もそんな街の灯を絶やさずにやってほしいと私は思う。スケベ心からだけではない(ていうか、私は風俗に行かないし、なぜだか、呼び込みのオババどもに出入り禁止にされていた)。

 世の中がすべて明るく、眩しい場所ばかりになってしまったら私のような人間には少々息苦しいのだ。そもそも世の中には裏があるからこそ、表があるのではあるまいか……。

 しかしまったく笑えなかったが、私をパクったあと、刑事が行った先がスーパーマーケットだったのだ。私の供述通り、キャベツが本当に売られているかのウラを取りにいったのだが、そりゃあ売っとるに決まってるだろうがである。

※ ※ ※

 これは今から4年前にニュースサイト「r-zone」で私が書いたコラムである(一部改訂済み)。笑ってしまうのは儲からなかったことだけではないのだが、それはさておき……。

 実際、三十数店舗が無許可で風俗営業する、かんなみ新地という地域にはさまざまな人間模様があった。

 組合はあっても、1店舗1店舗オーナーは違っており、中には複数店舗経営しているやり手も存在していたが、各店舗の家賃は当時で月30万。古びた二階建て長屋がこの金額だといわれると誰しもが腰を抜かすだろうが、それを回収するだけの需要が十分にあったのは事実だ。非合法ながらも店さえ借りることができれば、暗黙の了解のもと、堂々と売春を行えるのである。

 新地街には新地街のルールもあって、不義理をして辞めた女の子は辞めて3カ月間、他所の店で働けないなどだ。私は人に頼まれて、そうした移籍トラブルに介入し、私の顔でそんなルールはぶち破ったこともあるが、確かに決まりごとは存在していた。それさえしっかりと守っていれば、公的に認められたかのように営業することができたのだ。

 それがなぜ今回、70年の歴史に幕を下ろすことになったのか。圧倒的に住民からの苦情が多くなったからだ。

 コロナ禍の真っ最中に、風俗目当ての人が各地から集まってきてみろ。近隣住民からすれば迷惑でしかない。結果、所轄には多くの苦情が寄せられることとなり、尼崎南署と尼崎市が一緒に立ち上がったのだ。そして市や当局側は、これまでの「あくまで飲食店」という建前をもう許さないと決めたのである。

 これもコロナ禍が産んだ“悲劇”といえるかどうかはわからない。なぜならば、ダメなものはダメだからだ。だが、そこにも営みや文化が存在していたのは事実だろう。

 70年間灯り続けた灯りが尼崎からまたひとつ消えていったのであった。

(文=沖田臥竜/作家)

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沖田臥竜/作家

沖田臥竜/作家

作家。2014年、アウトローだった自らの経験をもとに物書きとして活動を始め、小説やノンフィクションなど多数の作品を発表。小説『ムショぼけ』(小学館)や小説『インフォーマ』(サイゾー文芸部)はドラマ化もされ話題に。最新刊は『インフォーマ2 ヒット・アンド・アウェイ』(同)。調査やコンサルティングを行う企業の経営者の顔を持つ。

Twitter:@pinlkiai

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