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東大・刺傷事件:医学部進学への執着と多浪の危険性、最難関=東大理3入試の実態

文=編集部、協力=片田珠美/精神科医
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東大・刺傷事件:医学部進学への執着と多浪の危険性、最難関=東大理3入試の実態の画像1
東京大学の安田講堂(「Wikipedia」より)

 大学入学共通テスト初日の15日、テスト会場の東京大学本郷キャンパスの前で、高校生2人と70代の男性を包丁で刺し殺人未遂容疑で逮捕された名古屋市の私立高校2年の少年。警視庁の取り調べに対し少年は、

「医者になるため東大を目指していたが、1年くらい前から成績が上がらず自信をなくした。人を殺して罪悪感を背負って切腹しようと思った」

「(学校での)面談で、東大は無理という話になって心が折れた」

「医者になれないなら自殺しようと思った」

などと供述していると報じられている。

 少年の供述によれば、彼は東大医学部志望だったとみられるが、予備校関係者はいう。

「医学部に当たる理科3類(編注:「3」の正式表記はローマ数字)の入試では、共通テストで5教科7科目を受験し、まずそこで第1段階選抜が行われ、一定の点数に満たないと不合格、つまり“足きり”となる。そして東大独自の2次試験では国語、数学、理科2科目、外国語、さらに面接を課され、入試科目数はかなり多い。国公立大学の理系の偏差値ランキングでもトップで、総合的にみれば、国公立と私立を合わせた全体でも国内最難関の大学学部といってよい」

 東大医学部は同校のなかでも特別視されているという。

「東大のなかでも医学部というのは別格で、“頭がいい”というレベルでは入れません。あくまで僕の感覚ですが、いい意味で“普通の人間は受からない”という表現が正しいでしょうか。なので、東大生のなかでも医学部生というのは“スゴイ”と認められている存在です」(東大経済学部OB/2019年6月13日付当サイト記事より)

“医学部多浪生”

 今回事件を起こした少年はまだ高校2年生だが、東大に限らず、どの大学でも医学部は難関とされ、医師になりたいという強い意思を持ちながら何年も浪人を続け、それでも合格できない“医学部多浪生”も少なくないという。

「今では偏差値がそれほど高くない医学部も増えてきたが、そうした大学の授業料は偏差値と反比例して高額になる傾向があり、在学生には、親が開業医や病院経営者でかなりの高収入で、“絶対に医者にならなければならない”という事情を抱える子も少なくない。いわゆる一般家庭の子で医師を目指す場合、自ずと選択肢は国公立大か、高額とはいえ学費が抑えめな私立大の医学部に絞られてくるが、偏差値的にはどこも難関。

 さらに、数年前に社会問題となった、一部医学部の入試採点における浪人生や女子を対象とした事実上の減点は、現在でも完全になくなったとは断言できず、ブラックボックスのまま。

 こうした事情もあり、他の学部と比べても医学部受験はやや特殊ともいえ、1浪の医学部志望者には、医学部にこだわらずに他の学部も志望校に入れるべきだとアドバイスする予備校や塾は少なくない。頑張れば合格できるという保証はなく、さらにその子が本当に医師という職業に向いているのかどうかもわからないなか、10~20代の貴重な時期を何年も浪人に費やしてしまうというのは、望ましいこととは思えない」(前出・予備校関係者)

「すりあわせ」は大人になるために不可欠な過程

 この少年は東大医学部への進学に強いこだわりを持っていたようだが、精神科医として多くの臨床経験を持つ片田珠美氏はいう。

「この少年は『(学校での)面談で“東大は無理”という話になって心が折れた』と話しているようです。東大の前で犯行に及んでいることや、犯行前に『俺は東大を受験するんだ』と叫んだことからも、東大への執着がかなり強いように見受けられます。『医者になるため東大を目指していたが、1年くらい前から成績があがらず自信をなくした』とも供述しているので、東大理3を目指していたのでしょうが、東大理3は最難関であり、入学定員も少ないので、面談で無理と言われても、仕方がないと思います。それでも諦めきれなくて要求水準を落とせず、東大理3に執着し続けたことが、暴走の一因だと思います。

 医者になりたいと思った少年が、その最高峰の養成機関である東大理3への入学を希望した気持ちはわからないでもありません。ただ、『自分の目指すところに自分の成績が追いつかない』現実に直面したら、理想と現実のギャップを受け入れて、もっと入りやすい大学の医学部に進路を変更するのが、現実的な選択肢ではないでしょうか。この少年は、理想と現実のギャップを受け入れて、より現実的に対処する『すりあわせ』がうまくできなかったという点で、『未熟』といえます。

 17歳の少年に『未熟』という言葉を使うのは厳しすぎるかもしれません。しかし、理想と現実のギャップを受け入れる『すりあわせ』は大人になるために不可欠な過程であり、10代後半から20代前半にかけての重要な課題でもあるので、あえてこの言葉を使わせていただきます。もちろん、努力を積み重ねて理想と現実のギャップを埋め合わせられれば何よりですが、いくら努力しても自分の希望がかなわないこともあるのです。これは、大人であれば、誰でも多かれ少なかれ身にしみて感じていることでしょう。

 そもそも、医者になりたいというのは、この少年の本来の希望だったのでしょうか。親が『医者になってほしい』と強く希望していたから、あるいは高校の同級生の多くが医学部進学を目指していたから、自分も医者になりたいと思った可能性はないのでしょうか。少年が通っていた高等学校は、医学部への進学実績が群を抜いている超エリート男子校らしいので、できる子はみな医学部を目指す校内の雰囲気に影響された可能性も否定できません。

 フランスの精神分析家ジャック・ラカンは『人間の欲望は他者の欲望である』と言いました。たしかに、われわれは、他人が強く欲しているのがいいものであるように感じて、それを自分の欲望のように感じることが少なくありません。とくに、親の欲望を取り込んで、それを自分の欲望とみなすのはよくあることです。こうした傾向は、親の期待に応えたい“いい子”ほど強いように見受けられます。

 私自身、親の希望もあって医学部に入りましたが、本当にやりたかったことは別にあったので、医学部在学中も、医者になってからも、かなり悩みました。知り合いにも、理数系が得意で医学部に入ったものの、対人関係やコミュニケーションが苦手で、患者さんとうまく接することができず、かといって基礎の研究にも興味を持てず、結局会社に入って医療機器の研究開発などをしている人がいます。それだったら、最初から工学部か理学部に入っていたほうがよかったのではないかと思うようなケースもあります。

 ですから、医学部に入りたいというのは本当に自分が心から望んでいることなのか、自分は医者に向いているのかなど、よく考えて進路を決めていただきたいと思います」
(文=編集部、協力=片田珠美/精神科医)

片田珠美/精神科医

片田珠美/精神科医

広島県生まれ。精神科医。大阪大学医学部卒業。京都大学大学院人間・環境学研究科博士課程修了。人間・環境学博士(京都大学)。フランス政府給費留学生としてパリ第8大学精神分析学部でラカン派の精神分析を学ぶ。DEA(専門研究課程修了証書)取得。パリ第8大学博士課程中退。京都大学非常勤講師(2003年度~2016年度)。精神科医として臨床に携わり、臨床経験にもとづいて、犯罪心理や心の病の構造を分析。社会問題にも目を向け、社会の根底に潜む構造的な問題を精神分析学的視点から分析。

Twitter:@tamamineko

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