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友達の多さと「孤独」は無関係? アドラーから学ぶ、役立つ「孤独論」

新刊JP
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※画像はイメージ(新刊JPより)。
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 新型コロナウイルスの感染拡大によって、皆が家から出ることができない時期を経験し、家族や親しい友人と直接会えず、孤独を感じた人は多いだろう。ただ徐々に日常が戻りつつある今も、人が孤独を感じることはある。孤独とどう向き合えばいいのかは、誰にとっても無関係ではない問題だ。

孤独を考えるキーワード「共同体感覚」とは

 『孤独の哲学-「生きる勇気」を持つために』(岸見一郎著、中央公論新社刊)では、アドラー哲学を読み解く第一人者である哲学者の岸見一郎氏が、哲人たちの思索の上に自らの育児、介護、教職経験を重ねて人生論を説く。今の社会で多くの人が感じているであろう孤独に対し、どのように向き合っていくべきかを考察する。

 友人だと思っていたら知らない間に仲間はずれにされていたり、親しい人から理解されなかったなど、孤独を感じるのは何か対人関係の問題が起きて1人でいることを余儀なくされたときだろう。

 友人が多いほうが充実しているかというとそうとは限らない。世間的な価値に照らし合わせて会うに値しないと判断するような人や条件付きで友人を選ぶような人とは会わなくていい。それは本当の意味での友人とは言えないと岸見氏は説く。友人というのは、必要かそうでないかという基準で選ぶものではない。そのような人が周りにどれほどたくさんいても、自慢できるものではない。

 本当の友人というのは相手に何の条件も付けずに、何があっても味方になる人。その意味で言えば、著者の岸見氏は高校時代に友人がいなかったという。このことをSNSで書いたところ、友人がいないのは人と人とが敵対しているのではなく結びついていると感じられる共同体感覚がないからではないのかと批判されたそうだ。

 人と人は本来的には「仲間」であると心理学者のアドラーは考える。仲間はドイツ語では「Mitmenschen」で、その原義は「人と人とが結びついている」ということ。「他の人は必要があれば自分を援助してくれる」と思える人は、他者を基本的に「仲間」と見ているのだ。他者をそのような人と見なせる人に共同体感覚があるのであって、友人の多さと共同体感覚の有無は関係ない。つまりこの共同体感覚を本来的に持っているのであれば、友達が一人もいなかったとしても、孤独感を感じないことも考えられる。岸見氏は、いつも行動を共にしたり、絶え間なく連絡を取り合う友人が1人もいなくても、だからといって孤独だったかというとそうではないと述べる。

 孤独をどう克服するか。こんな場合はこうすればいいというノウハウを知るだけでは十分ではない。なぜこうすることが問題に解決になるかを原則的に理解しなければ、何か解決を要する問題が起きたときに応用が利かないからだ。哲学の視点と岸見氏の経験が綴られた本書から、孤独について考えてみてはどうだろう。
(T・N/新刊JP編集部)

※本記事は、「新刊JP」より提供されたものです。

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