
ブランド名が「nusumigui(ヌスミグイ)」というまるで人を食ったようなネーミングが新鮮かつ楽しい。昭和アパレル世代には思いもつかない新鮮なブランド名である。そのブランドプロフィールには「三ツ星フレンチのコースもいいけど、お母さんのつくる唐揚げを盗み食いするのも良くない?」と記されている。
そこで今回は、次々と新たなビジネスモデルが生まれては消えるなかでファッションビジネスの基本に沿っていると感じるnusumiguiについて、混迷するファッションビジネスの原点に帰って考えてみたい。
1.裏切り続けてくれる販売方法
nusumiguiは山杢勇馬さんと瞳さん夫妻によって営まれている。助手に加わるのが2人のキューピッド役もこなした愛犬のゴマ。

人や暮らしのそばで洋服を作るブランドとして勇馬さんがひとりでスタートさせた。経歴も異質で、幼稚園時代から始めたモトクロスレースで高校生時代には関東1位、高校3年生で全日本の選手にも選出されスポンサーまでついていた。しかし、練習中に骨折事故にあい半年間の車椅子生活も経験。しかし人生は塞翁が馬。定職につかずにいた時期にファッションに出会う。
そして、2008 年に山縣良和さんによって開講、運営され少人数で学ぶ「ここのがっこう」に21歳で入学する。
そこは、世界と自分自身の装いの原点に向き合いながら、ファッションを学ぶ場所である。

勇馬さんは、ひとりnusumiguiを立ち上げて親交のあるショップで服を販売した。パン屋のバイトで生活しながら、夢だけが支えだが楽しく毎日を送る。一発奮起して、知り合いを通じてリノベーションされた日本橋の古ビルの一角に小さなショップをオープン。Twitterなどを通じてお客が増え始め、アシスタントと2人で服作りを続けた。
一方、女子美術大学に通いながら服作りを学び、瞳さんは希望の企業にアルバイトで入社し、半年後には異例の速さで正社員採用。瞳さんは望んだ仕事だったからガムシャラに頑張り、店舗で一番の販売員となり、毎日終電で帰る日々を送る。
当時の勇馬さんも明け方に眠りにつき、牛丼チェーン店で三食をとるような生活だったが、かつては町工場だった物件にショップを移転。1階をアトリエショップ、2階を生活空間として、現在助手を務めるフレンチブルドッグのゴマを迎える。歯車が合って長く務めてくれていたアシスタントが独立し、ビジネスも変化していった。そして、アトリエショップでよく開催していたワークショップを、徐々に瞳さんがお手伝いするようになっていく。