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藤和彦「日本と世界の先を読む」

日本で報じられない原油価格高騰リスク…イラク、米国撤退で過去最悪の政治崩壊

文=藤和彦/経済産業研究所コンサルティングフェロー
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イラク(「gettyimages」より)

 米WTI原油価格は8月に入り、1バレル=90ドル台前半で推移している。月間ベースの原油価格は6月、7月と2カ月連続で下落している。ロシア産原油の市場からの締め出しなどの供給不安があるものの、世界経済の景気後退懸念の高まりが原油相場の重荷となっているからだ。

 供給サイドの動きを見てみると、石油輸出国機構(OPEC)とロシアなどの大産油国で構成されるOPECプラスは8月3日の閣僚会合で9月の原油生産量を日量10万バレル増加させることで合意した。8月の増加目標(日量64万8000バレル)に比べて小幅だが、OPECプラスの実際の生産量は計画を下回る状況が続いており、増産余力が乏しいなかで米国などの要請になんとか応えようとする姿勢を示した形だ。

 OPECプラスの主要メンバーであるロシアは西側諸国に厳しい制裁を科されたが、中国とインドなどの新たな輸出先を確保した感が強く、いわゆるロシアプレミアムは薄れつつある。政情不安で生産が急減していたリビアの原油生産量も当初の水準(日量120万バレル)に回復しつつある。世界最大の産油国である米国の生産量は再び日量1200万バレルを超えており、今後も緩やかなペースで増加することが見込まれている。

 原油生産が比較的安定しているのに対し、需要サイドは弱含みの展開となっている。原油価格の上昇を牽引してきた米国のガソリン価格が沈静化している。ドライブシーズンにもかかわらずガソリン価格が高騰したことから、多くの米国人が車による旅行を断念し、ガソリン需要が伸び悩んだことがその理由だ。一時はガロン当たり5ドルを超えていた価格も4ドル近辺にまで下落している。世界第2位の原油需要国である中国についても「経済が急減速している」との見方が広がっており、原油価格の押し下げ要因となっている。

イラクの地政学リスク

 市場の関心が供給懸念から需要不安に移りつつあることから、「原油価格は年末に向けて下落傾向が続く」と筆者は予想しているが、ここに来て市場の攪乱要因として浮上しているのがイラクの地政学リスクだ。

 OPEC第2位の産油国(日量約450万バレル)であるイラクで7月27日、イスラム教シーア派指導者ムクタダ・サドル師を支持する群衆が国会議事堂を占拠した。サドル師派は昨年10月の議会選(一院制、定数は329)で最大勢力となったが、政権樹立に向けたイスラム教スンニ派やクルド系などとの協議が行き詰まったことから、しびれを切らしたサドル師は今年6月、傘下の議員73人すべてを辞職させていた。これにより、繰り上げ当選などで同じシーア派でもサドル師と対立する親イラン勢力が国会の最大会派になり、独自の首相候補を擁立し政権樹立に向けた動きを加速させたことから、サドル師派が実力行使に出たのだ。

 サドル師派は政府機関や外国大使館などが集まる旧米軍管理区域(グリーンゾーン)に侵入し、議事堂を占拠したが、サドル師の呼びかけにより数時間後に解散した。だがサドル師派の実力行使はこれで終わらなかった。サドル師派は30日、再び議事堂を占拠した。イラク政府の治安部隊や親イラン勢力の支持者らと小競り合いが生じ、計100人以上が負傷した。今回の占拠を呼びかけたのはサドル師本人だった。国会の解散と総選挙のやり直しを求めており、支持者は「要求が満たされるまで居座る」として無期限の占拠を訴えている。

 サドル師と対立する親イラン勢力も8月1日、議事堂近くに多数の支持者を動員しており、にわかに緊張が高まっている。イラクが米軍主導の部隊に占領されていた時代、サドル師は民兵組織を率いて米軍に抵抗し、草の根のシーア派勢力の中心的存在となった。反米とともにイラクに対する隣国イランの干渉にも反発する姿勢を示している。

政治の麻痺は国民生活に甚大な悪影響

 イラクの政治システムはこれまで宗派間で権限を分け合う形で成立してきたが、若者を中心に不満が急速に高まっていた。イラクでは毎年数十万人が大学を卒業し、これまでは大半が公務員になっていたが、政府が雇用の受け皿を提供できなくなっていたからだ。就職難にあえぐ若者達はイラクの将来を憂い、2020年から抜本的な政治改革を求めるデモを繰り返すようになっていた。

 このような社会情勢を追い風にして国会での勢力を拡大したサドル師は、既存の政治勢力と妥協しない姿勢を貫いており、今後の展開はまったく見通せなくなっている。イラクでは2005年に米国主導の下で議会選挙が実施されるようになったが、今回の議会選後の政治空白期間は10カ月を突破し、最長記録となった。2003年に米国が有志国を率いて当時のフセイン政権を武力で打倒して以来、イラクは最悪の政治危機に直面しているといっても過言ではない。

 長引く政治の麻痺は国民生活に甚大な悪影響を及ぼしている。原油価格の高騰はイラク政府に予想外の臨時収入をもたらしたのだが、新政権が樹立できないため今年度予算案を成立させることができず、余剰資金を国民生活の向上に有効利用できないでいる。気がかりなのはサドル師と親イラン勢力はいずれも民兵組織を抱えていることだ。武力衝突のリスクが高まっており、原油生産が大幅に減少する可能性も生じている。

 日本ではあまり注目されていないが、イラク発の原油価格の高騰リスクに今後一層の警戒が必要なのではないだろうか。

(文=藤和彦/経済産業研究所コンサルティングフェロー)

藤和彦/経済産業研究所コンサルティングフェロー

藤和彦/経済産業研究所コンサルティングフェロー

1984年 通商産業省入省
1991年 ドイツ留学(JETRO研修生)
1996年 警察庁へ出向(岩手県警警務部長)
1998年 石油公団へ出向(備蓄計画課長、総務課長)
2003年 内閣官房へ出向(内閣情報調査室内閣参事官、内閣情報分析官)
2011年 公益財団法人世界平和研究所へ出向(主任研究員)
2016年 経済産業研究所上席研究員
2021年 現職
独立行政法人 経済産業研究所

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