9月18日、この問題が米環境保護局(EPA)から公表されて以来、VWの株価は30%も下落、世界中の株式市場に悪影響を及ぼしている。今後の成り行き次第では、欧州メーカーの強みであるディーゼルエンジンの将来をも左右しかねない大事件となった。
ことの発端は、ディーゼル乗用車の排ガス数値について試験数値と実走行時との間に大きな乖離があったことへ、欧州委員会が調査を強めたことにある。非営利団体である国際クリーン交通委員会(ICCT)に調査を依頼したのだ。
その調査を受託したウエスト・バージニア大学の研究結果が、VWの不正を暴く契機となったのだ。調査結果を元に、カリフォルニア州大気資源局(CARB)、米環境保護局(EPA)とVWとの交渉は実に1年以上に及んだ。最終的にVWは不正を認め、9月18日に正式に公表された。VWは米国で2009年モデルイヤー以降の48.2万台をリコールし、問題のあるエンジンを搭載した「ジェッタ」「ビートル」「パサート」等の米国販売を停止した。
「ジキルとハイド」のエンジン
EPAの指摘によれば、問題の「EA189タイプ」のエンジンには「ディフィートデバイス」と呼ばれる無効化機能ソフトが組み込まれていた。このソフトは、ハンドル操作、スピード、圧力などを検知し、室内での排ガス試験の走行と判断したら、排ガス規制モードで走行し、窒素酸化物(NOx)の排気を規制通りに抑える。通常走行だとソフトが認識すると、ディフィートデバイスにスイッチが入り、排ガス低減制御機能を停止させ、規制の40倍ものNOxを排出していたという。まさに、「ジキルとハイド」を地でいくエンジンだ。
欧米では、かなり以前からディフィートデバイスは禁止されている。ちなみに、これを用いた違法ケースの摘発が過去にもある。1998年にフォードがディフィートデバイスを用いた大気浄化法違反により780万ドルの賠償金を支払った。日本でも大型トラックの排気ガス量が、試験走行と一般走行に大きな差異が生じていたことから、11年に車両総重量3.5トン超のディーゼル重量車にディフィートデバイスの一般走行での使用禁止を取り決めた。
高い走行性能と環境性能を両立してこそのクリーンディーゼル技術である。VWは、この技術を「ブルーモーションテクノロジー」と冠を付け、06年から欧州、08年には米国へ幅広く展開してきた。日本市場へも導入直前であったが、この一件で再検討される公算が高く、国内消費者への実害は限定的に留まる見通しである。
消費者を裏切った悪質な不正
ブルーモーションテクノロジーを基にするTDIエンジンを搭載したモデルは、通常のガソリン車よりかなり高めの価格設定が通用してきた。それは、走行性能と環境性能を両立していると信じた消費者が支払った対価である。規制当局と消費者を裏切った悪質な不正は、簡単には許されることはないだろう。
VWは不正ソフトの存在を認め、対策費に8700億円を第3四半期に計上することを決定した。VWによれば、現時点で08年から導入されたEA189タイプのみに不正が限定されるという。そのエンジンを搭載する車両は世界に1100万台ある。現時点では、正式なリコールとなったのは米国の48.2万台にすぎない。VW乗用車ブランドのCEOであるヘルベルト・ディースは、その内500万台程度が問題となる見通しを示した。そして、ドイツだけで280万台の排ガス不正対象車が公表済みである。問題は米国を離れ、欧州から世界各国に波及することは不可避な情勢だ。
誤解を避けるべきは、問題のエンジンはEuro5と呼ばれる09年に実施された欧州排気ガス規制に準拠した比較的古いエンジンであるという点だ。現在のEuro6に準拠するエンジンを搭載するモデルには、法律と環境規制に適合しているとVWは説明している。
米国の排気ガス規制は「Tier2Bin5」と呼ばれ、要求されるNOx排出量は0.04グラム/kmと、欧州Euro5の0.18グラム/km、現行のEuro6の0.08グラム/kmと比べ極端に厳しい。同時に、米国の軽油に含まれる硫黄成分は15PPM以下と、日欧の10PPMと比較してかなり甘い。
これらの制約の中で、燃費と走行性能のバランスを取ることは決して容易なことではない。実際、スカイアクティブDで高い成功を収めてきたマツダは、マツダらしい走行性能を実現するために、米国市場へのディーゼル投入を慎重に見極めてきた事実がある。
不正に手を染めた理由とは
なぜ、VWがこれほどのリスクを取って不正に手を染めたのか。真相は今後の調査や公聴会の中で明らかにされていくだろう。
筆者の読みは大きく3点ある。
第一に、成長戦略の要であった米国販売100万台を達成するため、ブルーモーションテクノロジーを消費者に高く評価されようと功を焦ったことだ。
第二に、ディフィートデバイスと同様の働きをする制御ソフトはエンジン始動時や低外気温時などに組み込まれることはある。VWの技術者が、ディフィートデバイスの定義を甘く見積もった可能性はある。
第三に、弱い企業統治と複雑な組織による規律の問題である。本来、VWは社会貢献を含めたCSRの意識が非常に優良な企業である。しかし、その表面とは違い、内面は過去の公益企業時代の名残や、長期的な同族支配による複雑な企業文化を有すると考えられる。
大株主である元監査役会会長のフェルディナント・ピエヒが22年間にわたり独善的な経営を続けたVWは、非常に特殊な会社だ。企業買収を繰り返し、複雑な組織と意思決定の仕組みを形成してきた。ピエヒは、結果主義に基づいた容赦ない人事を繰り返した。不正に走った遠因には、結果主義に対する厳しい経営姿勢が疑われる。
危機をバネに、望まれる経営の近代化
VWは、06年の600万台弱から14年に一気に1000万台を超える急成長を遂げ、15年上半期の世界販売台数でトヨタを抜き去り世界トップに躍り出ていた。しかし、グループ販売台数の36%を占める中国市場は失速気味。そこに、ディーゼルエンジンの不正問題が浮上した。さまざまな地域で、一部車両の販売停止や消費者のボイコットが起こるリスクがあるだろう。
VWは、1000万台を目前に米国市場と品質問題につまずいたトヨタと同じ轍を踏む。ただし、トヨタは劇的な復活を遂げた。VWにもチャンスはあると考える。売り切り商売ではない自動車ビジネスでは、メーカーとユーザーはより長期的で親密な関係がある。その関係が切れてしまう前に、信頼を回復する時間的な猶予はあるものだ。
ユーザーとの信頼回復を実現できる力がVWにはあると考える。この危機をバネに、経営の近代化を実現し、信頼を勝ち取れる新技術と新製品を待ち望む。VWの新経営体制の舵取りを注目していきたい。
(文=中西孝樹/ナカニシ自動車産業リサーチ代表 兼 アナリスト)