日本カーオブザイヤー発表!“超忖度な選考プロセス”が業界の衰退を助長する?
今年も日本カー・オブ・ザ・イヤー(COTY)が発表された。イヤー・カーに輝いたトヨタ「RAV4」の是非は別として、相変わらず世の中的には盛り上がりに欠けているんである。
こんなふうに、COTYの影がすっかり薄くなってしまったのは、一体どうしてなんだろう?
当然、「若者のクルマ離れ」に象徴される業界全体の停滞気分がまず挙げられるだろう。僕もそれは否定しないけれど、一番の理由は、そもそも賞自体の権威がなくなってしまったことだと思っている。
1980年に始まったCOTYは、日本車の性能が劇的に向上する時期に合わせるように盛り上がりを見せた。たとえば、当時の「赤いファミリア」や「初代ソアラ」「ワンダーシビック」などの受賞車は、一部のクルマファンだけでなく、まさに大衆の注目も集めていた。
ところが、これが90年代も半ばを過ぎる頃から話が変わってくる。クルマが憧れの対象から外れつつあったのと同時に、当時僕らクルマ好きに聞こえてきたのは、メーカーによる選考委員への過剰接待などというウワサだ。高級な食事や宿泊付きの試乗会はもちろん、海外試乗なんて話さえあった。
こうなると、必ずしも優れたクルマが受賞するワケじゃないのか?となるし、実際、当時は「なんでこのクルマが受賞?」というケースが少なくなかった。そうして、賞への関心は加速度的に失われたわけだ。
もちろん、選考委員でもない僕は実際にそういう現場を見たわけじゃない。ただ、現在も基本的に同じ発想の審査がかたちを変えて行われていて、それが「10ベストカー」なる制度だ。
「第一次審査」として、全エントリー車の中から上位の10台を選ぶという制度は、クルマ好きならたいていは知っているだろう。別にそれ自体にはなんの問題もないけれど、なんとこの10台は毎年ほぼ各メーカーから1台ずつ選ばれているのである(本年度はエントリーの多いトヨタから2台が選出)。
つまり、イヤー・カーを決める前に、とりあえずほぼ全メーカーに「ご褒美」を与えるという忖度話だ。COTYの規約を見ると、この「第一次審査」も委員による選出とあるけれど、毎年各メーカーから1台ずつなんて偶然はあり得ないので、当然何かしらのカラクリが設けられていることになる。もちろん、これは決定的にアウトだ。
盛り上がるには緊張感こそ必要
なぜって、とくに事情通ではない一般のユーザーは、本当にこれがベストの10台なんだと思ってしまうからである。本来、いちばん大切にするべきユーザーを騙すようなこの制度は、だから本当に罪深い。
で、本来のベストではないから、今回の最終結果では大賞の「RAV4」の得票が436点なのに対し、10位のダイハツ「タント」はなんと21点という珍現象が起きる。つまり、タントには審査員のほとんどが最初から興味がなかったという、実にバカげた話なのである。
さらに、6位(56点)のジープ・ラングラーに「エモーショナル賞」とか、9位(35点)の日産デイズ・三菱ekシリーズに「スモールモビリティ賞」を与えるというサービスぶりに加え、果ては10ベストにすら入っていなかった日産スカイラインに「イノベーション賞」を進呈するという、もはや忖度を絵に描いたような状況になっている。
COTYの運営は自動車媒体が中心であって、メーカー団体ではない。つまりクルマという商品に対し、もっとも客観的で冷静な立場にあるべき存在であり、もちろん忖度など完全にNG。それは「業界を盛り上げよう」という話とはまた別だろう。
そんな賞からは緊張感が薄れ、盛り上がりに欠け、影が薄くなっていくのは当然のことなんである。しかも、そうやって一生懸命忖度しているのに、状況は逆にますます悪い方向に向かってしまう。まさに、本末転倒の典型的な例じゃないか。
僕自身も当然クルマが大好きなので、業界には大いに盛り上がってほしいと思っている。ただし、そこに必要なのは緊張感であり、本物しか認めないという志の高さなんだと思う。10ベストどころか、年によってはイヤー・カーの該当がなくたって構わないのだ。
そうした姿勢は、遠回りのようで、実は業界活性化のために一番の近道ということに、そろそろ気付いてもいいんじゃないだろうか。
(文=すぎもと たかよし/サラリーマン自動車ライター)