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大崎孝徳「なにが正しいのやら?」

「大衆車メーカー」トヨタ、なぜレクサス成功?「過去を全否定する」開発、無制限にカネ投入

文=大崎孝徳/名城大学経営学部教授
「大衆車メーカー」トヨタ、なぜレクサス成功?「過去を全否定する」開発、無制限にカネ投入の画像1レクサス店舗(「Wikipedia」より/Tyoron2)

 トヨタ自動車による高級自動車事業であるレクサスは世界に先駆け、アメリカで1989年に発売され、日本市場には2005年に投入されています。その後、両市場において高級自動車ブランドとして確固たる地位を築いています。

 豊富な資金力を有するトヨタ自動車なら、新たな高級自動車事業を成功させることは難しくないと考える人も多いかもしれませんが、高級自動車市場には独ダイムラーのメルセデス・ベンツや独BMWなどが長きにわたって君臨していたため、大衆車市場以上に新参者が受け入れられにくい土壌にあったことは間違いないでしょう。

 こうした困難な市場においてレクサスが成功した要因として、どのようなことが挙げられるのでしょう。

徹底した開発体制

 レクサスの徹底したこだわり、その源をたどってみましょう。

「大衆車メーカー」トヨタ、なぜレクサス成功?「過去を全否定する」開発、無制限にカネ投入の画像2『「高く売る」戦略』(大崎孝徳/同文舘出版)

 89年にアメリカ市場に投入された初代「LS」(セルシオ)は、「日本車の概念を変えた」と言われるほど、センセーショナルなデビューを飾りました。この時のプロジェクトは完全なるトップダウンで、トヨタ中興の祖である豊田英二氏(当時会長)の「ベンツやBMWを超える世界最高車をつくれ」との檄から開発が始まり、「日本市場を無視せよ」との声を反映し、ベンツを徹底的にベンチマーク(基準)とした開発が行われています。「マルF」プロジェクト(Fはフラッグシップ)と呼ばれたLS開発計画はトヨタの中でも異例の扱いを受け、豊田氏は原則として開発陣が使う資金を制限しませんでした。

 レクサスの担当スタッフは当時を振り返り、「(上司から非常に高い基準を求められ)『金はオレがいくらでも用意してくるから、とにかくやれ』『とにかく、いいクルマを出さなければこのプロジェクトはなくなる』『いいものができるまで出さない』と社長や会長に言われて、何度もクレイモデルを見せ、何度もつくり直しました」と語っています。このように、LSの開発は全社挙げてのプロジェクトで、とにかく「今までにないクルマをつくる」という覚悟で取り組まれています。

 また、トヨタ車をつくっていたスタッフ(技術者やデザイナーなど)が急に高級車を開発できるのかとの声に対しては、「難しいことではありません。レクサスを開発するに当たっては、数値で目標を設定すればいいのです。客観的な基準を定めて、それをクリアできるように努めればいい」と担当の専務が述べていることは大変興味深いポイントです。

大﨑孝徳/香川大学大学院地域マネジメント研究科(ビジネススクール)教授

大﨑孝徳/香川大学大学院地域マネジメント研究科(ビジネススクール)教授

香川大学大学院地域マネジメント研究科(ビジネススクール)教授。1968年、大阪市生まれ。民間企業等勤務後、長崎総合科学大学・助教授、名城大学・教授、神奈川大学・教授、ワシントン大学・客員研究員、デラサール大学・特任教授などを経て現職。九州大学大学院経済学府博士後期課程修了、博士(経済学)。著書に、『プレミアムの法則』『「高く売る」戦略』(以上、同文舘出版)、『ITマーケティング戦略』『日本の携帯電話端末と国際市場』(以上、創成社)、『「高く売る」ためのマーケティングの教科書』『すごい差別化戦略』(以上、日本実業出版社)などがある。

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