「何もかも変えるのではなく、上乗せの姿勢」と語る千尋氏は、「昔は父とはよくケンカしました。お互いにこだわりがあり、言い出したら聞かない性格も似ていますから」と笑う。
千尋氏自身は紅茶への思い入れも強い。フランスでの修業中にその奥深さに魅せられて以来、紅茶にも力を入れてきた。現在ではフランスの老舗メーカー、ジョルジュ・キャノン(George CANNON)からインドのダージリンやアッサム、スリランカのセイロンティーといった有名産地の茶葉を直輸入するほか、独自のブレンドティーも提供している。現在の同社オーナーでティーブレンダーのオリビエ・スカラ氏と千尋氏は昔からの知り合いだが、千尋氏が現地で味見をしながら議論を交わし、日本人の好みに合わせて味を調整してもらうのだという。
こうした現場主義も人気店に共通する要素だ。力を入れる分野は店によって違うが、店主や責任者が直接産地や取引先を頻繁に訪れる。インターネットでも買える時代だが、いやネット時代だからこそ現場に足を運んで現物と向き合う。
「父の軸がコーヒーだったように、私にとっての軸はフランス菓子。でも『父のコーヒーに合うフランス菓子』としての軸足は変えておらず、両方を深化させたい。もともとコーヒー原料のコーヒー豆と、お菓子の原料のカカオ豆の生産地は、ほぼ同じ地域という共通点があるので産地にも足を運んでいます」(同)
さらなる成長のカギは、販売品質の向上と人材育成
一企業ができることは限られているので、業界として取り組む部分もある。そのひとつが女性販売員の地位向上だ。バリスタやパティシエに比べて一般の認知度は低いが、カフェ業界では女性販売員を「ヴァンドゥーズ」と呼ぶ。
そうした接客のプロを育成するため、09年に一般社団法人・全日本ヴァンドゥーズ協会が設立された。会長はパティシエとしても名高く、同職の育成・普及に情熱を燃やす稲村省三氏(フランス菓子「パティシエ イナムラショウゾウ」オーナーシェフ)が務め、千尋氏は副会長を務めている。
これまで「販売は簡単な仕事なので誰でもできる」といった先入観もあったが、そうではなく「専門知識を持った販売のプロ」としての育成を目指し、同協会の認定資格制度をクリアした人材には認定バッジを授与。接客時につけることができる。カフェタナカでも5人が保持しているという。
さまざまな業界を取材すると、販売戦略のひとつに直営店の運営を掲げる会社が目立つ。最近の運営キーワードは「ネット販売ではできない接客品質の向上」だ。そうした時流にも合った活動といえよう。
特に、何を買うかを決めていないお客に対してはアドバイスが大切だという。
「たとえば、贈り物として持ち帰るお客様の場合は、その持参先が会社なのか、友人・知人なのかをお聞きします。当日の天候や持ち歩きの時間なども大切なポイントです。なかには具体的に話されない方もいらっしゃるので、嫌がられない範囲でお聞きし、ご予算と合わせて、これはというお菓子をお勧めするようにしています」(同)
もうひとつ、さらなる成長に向けては右腕となるパティシエの育成もカギとなる。現在は千尋氏が商品開発から出張実演、主宰するお菓子教室の講師など多くの仕事を抱えている。まだ40代の同氏だが、そうした仕事の何をどのように任せていくかも今後の課題だ。
普段何げなく利用するカフェや洋菓子店でも、人気店には成功要因のヒントが詰まっている。今後もそれを継続できるかどうかは自分たち次第だろう。不祥事を起こす企業と同様、成長企業も「盛衰のカギは己の中にある」のだから。
(文=高井尚之/経済ジャーナリスト・経営コンサルタント)
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