日本の生産性は米国やドイツと比較すると3分の2しかないので、本気で生産性を上げようと思った場合には、上記3つをすべて実行する必要があるだろう。
だが日本では、「全社員一丸となって生産性向上に取り組む」といった抽象的な話ばかりが飛び交っており、具体的な施策はほとんど実施されていない。あえて言えば、もっとも手軽だが効果の薄い「残業時間の一律削減」くらいである。
利益率の向上や社員数の削減を実施するには改革が伴う。改革を実行すると、社内の軋轢が大きくなるので、無意識的に議論を避けていると思われる。せっかくロジックで物事を考えても、常に情緒が最優先し、結論ありきで議論が進むので、解決策が実行されることはないのだ。こうした状態でマクロ的な経済政策を発動しても、大きな効果が得られないのは当然のことだろう。
議論が常に堂々巡りになる理由
これは、あらゆる分野に共通する現象といってよい。日本の相対的貧困率が先進国の中では突出して高い水準にあることは、以前から指摘されてきた事実である。最近では、ようやくこの事実が受け入れられつつあるが、かつての議論はひどいものだった。
主要先進国の中で相対的貧困率が日本と同レベルなのは、徹底的な弱肉強食社会の米国だけである。欧州各国の貧困率は軒並み日本の半分以下であるという現実を考えると、過激な競争原理主義者でもない限り、改善の余地があると考えるのが普通だ。
ところが、国内では「相対的貧困率という指標には意味がない」という意見が噴出し、そもそも議論すらままならない状態だった。ここでの論点は「世界各国が共通の指標として使っている相対的貧困率が無意味なのかどうか」ではなく「相対的貧困率を下げるにはどうすればよいか」である。
議論の土台になっている標準指標に欠陥があると言うならば(実際にはそんなことはまったくないのだが)、しっかり手順を踏んで、その指標のどこに問題があるのか、ロジックを使って検証する必要がある。だが現実には「貧困率が高い」という現実を受け入れたくないという情緒が暴走し、そもそも議論が成立しないという状況が長く続いた。その間、国内の貧困対策が放置されてきたのは言うまでもない。
日本社会のIT活用度が低いといった話や保育施設が少ないといった話も同様である。IT活用の話になると、日本は高度に発達した便利な社会なので、そもそも無理にITを活用する必要がないといった議論が必ず登場してくる。ITを使えばほぼ無人でできる仕事に対して何人もの社員を動員し、バカ丁寧に業務を行えば、あらゆることが便利になるし、ITがなくても多くの人は困らないだろう。