前述した銀行法違反事件において、木村元会長が10年12月の保釈時に納付した保証金はわずか1000万円だ。当時、捜査当局は木村元会長がそれほど私財を蓄え込んでいないと見ていたと思われる。実際、木村元会長の生活ぶりが派手になった様子はその頃見受けられなかった。ところが、その後の預保などの調査で明らかになったのは、木村元会長がシンガポールに隠し口座を保有し資金をプールしていた事実だった。前述した振興銀株の売却代金の一部はその後、シンガポール口座に送金されていたようだ。
木村元会長が口座を開設していたのは、バンク・オブ・シンガポールだった。富裕層を相手とするプライベートバンクで、日本に支店を持たないものの当時は有力な日本人幹部がおり、出張営業で顧客を増やしていた。木村元会長がいつバンク・オブ・シンガポールと接点を持ったかは定かでないが、少なくとも10年6月頃の時点で同行の口座には少なくとも4億5000万円近くがプールされていた。それも合わせ木村元会長は少なくとも7億円近い預金を当時保有していた。
金融庁検査で破綻が必至となって以降、木村元会長の銀行口座にあったカネは目まぐるしく移動を始める。シンガポール口座にあったプール金はなぜか日本に還流し、そしてさまざまな名目で複数の先に分散されていった。具体的には次のような動きだ。
6月9日、木村元会長は実弟が保有する振興銀株1250株を譲り受け、代金1億6250万円を北陸銀行に開設された実弟名義の口座に振り込んでいる。3カ月前に950株を手放したばかりなのに、それ以上の株を取得するのだから、こんなおかしな話はない。
じつはこの時、木村元会長の実質支配企業が保有する振興銀株8150株を、中小企業振興ネットワーク傘下の2社に対し譲渡する話もあった。もし実現していれば、10億円を超す大金が木村元会長のもとに転がり込んでいたはずだ。が、この大量譲渡については社外取締役が難色を示して承認が先送りされ、その後の破綻で結局実現しなかった。
めまぐるしい資金移動
さて、木村元会長が実弟に送金したカネの出所こそが件のシンガポール口座だった。この2日後に振興銀は警視庁の強制捜査を受けることとなる。事件捜査をよそにその後もシンガポール口座からの還流は続いた。逮捕から約1カ月後の8月20日、木村元会長は代理人を務める弘中惇一郎弁護士の預かり口座に裁判費用名目で1億円を送金。さらに勾留が続いていた11月4日にも1億8600万円を保釈準備金名目で同口座に移動させている。