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JR大阪三越伊勢丹が業績不振で新人事

伊勢丹の関西進出を封じた高島屋・鈴木社長の”怨念”

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 しかし、これは真っ赤な嘘。三越伊勢丹が苦戦した最大の原因は、人気ブランドを集められなかったことに尽きる。梅田地区のライバル店が、高級ブランドのテナントに、三越伊勢丹への出店を控えるよう、強く求めたのが大きかった。先頭に立って、三越伊勢丹封じに動いたのは、高島屋社長の鈴木弘治氏(66)である。鈴木氏の伊勢丹憎しの怨念を知らない流通関係者はいない。

 伊勢丹と三越を統合した立役者で、三越伊勢丹HDの会長兼CEO(最高経営責任者)だった武藤信一氏(2010年に64歳で死去)と鈴木氏がライバルだったことは、広く知られている。慶應義塾大学経済学部の同期で、卒業と同時に、それぞれ高島屋、伊勢丹に入社。若い頃から二人のライバル意識は相当なものだったが、武藤氏が鈴木氏より一歩先を歩いていた。社長就任は武藤氏が01年、鈴木氏は03年だった。

「鈴木さんは高島屋が百貨店の王者だと自負していたが、それを打ち砕いたのが武藤さん。百貨店業界の名門、三越を”救済合併”して08年4月にできた三越伊勢丹HDに、トップの座を奪われた。当初、三越救済の話が持ち込まれたのは高島屋だったが、高島屋東京店と三越本店はともに東京・日本橋にある。重複店舗をどうするかの検討に手間取っている間に、三越は方向転換し、伊勢丹に話を持っていった。メインバンクは三越が旧三井、伊勢丹は旧三菱で、高島屋は旧三和。旧財閥系の金融機関同士の絆が強かったということが影響したのかもしれない。鈴木さんにしてみれば、トンビに油揚げをさらわれた心境だったことでしょう。以来、鈴木さんにとって武藤・伊勢丹は不倶戴天の敵となった」(関西の百貨店業界の最高首脳)

 その三越伊勢丹が、高島屋のホームグラウンドである関西に殴り込みをかけてきた。当然のこととして鈴木氏は伊勢丹封じの実力行使に出た。阪急阪神百貨店を擁するエイチ・ツー・オー(H2O)を11年までに経営統合するとぶち上げた。だが、これを額面通りに受け取る百貨店関係者は皆無だった。

 高島屋は96年、伊勢丹の聖地である東京・新宿に新宿店を開業したが、思うように売り上げが伸びなかった。伊勢丹本店の圧力で、ファッション分野での品揃えで見劣りするという当初のつまずきが響き、高島屋新宿店は慢性的赤字から脱却できないでいる。このとき受けた仕打ちを鈴木氏は忘れていなかった。

BusinessJournal編集部

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