広島県安芸郡府中町にあるマツダ本社工場の敷地は、猿猴川(えんこうがわ)に沿って全長約7キロに及ぶ。その広大な敷地内には、組立、塗装、車体、プレス、エンジン組立など、ほぼすべての工程が揃っている。広島本社工場のプレス工程は、1車種当たり約200の金型をつくる。3分の1に当たる量だ。残りの3分の2をサプライヤーがつくる。
金型はノウハウの塊だ。マツダが金型の設計から製造までを自社で手掛けるのは、金型に蓄積された技術やノウハウの社外流出を避けるためである。また、金型を自社で設計、製造することにより、各部の設定値や精度が管理され、安定生産にもつながる。つくられた金型は20年以上、工場に保管される。
「年間生産台数が5台くらいになっても、まだ置いている。お客さんから交換部品が欲しいといわれるからね。ときどき錆サビになっている金型を引っ張り出しては磨いている」
ツーリング製作部は、各種金型の製作のほか、工作機械、工具の保守・管理を担う。
「クルマはアートになった。では、それをリアルの世界でどう実現するか。金型づくりもまた、大事なところにきているんです。数ミクロンの世界は、磨けば一発で落ちてしまう。数ミクロンに込められた思いをわかっていないと、現場は仕事ができない」と、橋本は語る。
実際、小型スポーツカー「ロードスター」のボンネットの美しい曲面を思い浮かべてもらえばわかるだろう。精度の高い金型あってこそ、光沢や陰影をくっきり映し出すことができるのだ。求められる金型の精度は、髪の毛の太さより細かいミクロンレベルだ。金型の精度は、工作機械の精度に左右されるが、それだけではない。加工する材料のほか、工具の精度などが金型の出来に影響を与える。
そもそも、金型に使われる鋼板には弾性がある。つまり、鋼板を曲げて変形させても、元の形状に戻ろうとする力が働く。鋼板を金型にはさみこんでプレス加工しても、金型が離れた瞬間に、わずかながら形状が戻ってしまうのだ。
また、金型工場では大型機械で8時間かけてボディーの金型を削るが、その間、工具が熱を帯びれば、当然、金型の出来は変わってくる。
「それじゃあ、『魂動デザイン』の表現も何も、あったもんじゃない」
事実、失敗作となったご神体は、デザイナーの求める造形に対して50ミクロンほど形状が一致しない部分があった。
「しかも、磨き調整作業によって形状が痩せてしまっていた。それで、ご神体が持つ生命感や躍動感がなくなっていた。これじゃあダメだというんで、加工方法を変えた」
取り組んだのは、機械加工の問題点を解決して高品位な面精度を実現し、磨き調整作業をできるだけ少なくすることだった。緻密な意匠面の再現に向けて、形状特徴に応じた切削方法に変更した。切削方法に合わせて一つひとつ切削条件の調整を行い、平均値のズレやバラツキを揃え、形状全体の加工精度の向上を図った。
「50ミクロンだった面精度は現在、18ミクロンになった。さらに、10ミクロンを目指して取り組んでいる」
1ミクロンは、1ミリの1000分の1にあたる。わずか1ミクロンへのこだわりこそが、クルマに「命」を吹き込むのだ。
(文=片山修/経済ジャーナリスト、経営評論家)
※後編へ続く