引き返すチャンスはあった
こうした指摘は同社の発足当初から出されていたが、「官民を挙げて世界へ」「世界が認めた日本の技術」といった賛美の声にかき消され、一連の指摘が生かされることはなかった。むしろ同社のビジネスモデルについて疑問視するような発言はネットなどで激しく叩かれるというのが現実だったといってよいだろう。
同社の設立と政府による支援は、国民が反対するなか、政府が勝手に進めた話ではない。むしろ政府主導で経済成長を実現せよ、という国民の声を受けて実施されたプロジェクトである。
だが、官庁が運営するファンドは民間とは異なり、運営に失敗しても関係者が個人的に責任を負う必要がない。しかも官庁というのは予算で動いているので、一度、確保した予算は決して手放さないという習性がある。官営の事業がひとたび動き出すと、それを止めるのは簡単なことではない。
ジャパンディスプレイのビジネスに問題があることは上場した時点で、かなり顕著となっていた。
同社は2014年3月にIPO(新規株式公開)を行ったが、初値は公募価格を15%も下回る769円となり、上場翌月にはいきなり業績を下方修正。その後、再度、業績を下方修正し、上場1年目で赤字転落している。これは上場企業としてはあり得ない杜撰さであり、この時点で同社は当事者能力を失っていたことがはっきりしている。
政府による支援は継続されたが、状況は悪化するばかりだった。同社は5期連続で赤字を垂れ流し、株価はピーク時の10分の1まで暴落。最終的には中国と台湾の企業グループに身売りする結果となった。
失敗することがわかっていながら、一部の熱狂的な声に押されて無謀なプロジェクトに邁進し、途中でその問題点が顕著となっても引き返す決断ができない。これは、勝ち目がないことがわかっていながら開戦を強行し、主力艦隊を失って、人類史上唯一の核攻撃を2発も受け、そして国体が消滅する寸前になっても終戦の決断ができなかった太平洋戦争と基本的に同じ図式である。
冒頭にも述べたが、今回の件について、政府と経営陣に責任があるのは当然のことだが、最終的にその決断は国民が行ったものである。この部分を総括しない限り、近い将来、日本は再び同じ過ちを繰り返すだろう。
(文=加谷珪一/経済評論家)