現在、広まりつつある、Pay as you wish(Pay as you like/あなたのお好きな価格を支払ってください)という決済システムの、日本における元祖的存在である「はづ別館」。その「はづ別館」を運営する株式会社はづ・代表取締役会長・加藤浩章氏へのインタビューに基づく、連載記事の第4回目・最終回である。
・第1回 『客が値段を決める宿・はづ別館、経営の秘密…客・旅館側、双方の納得感が向上』
・第2回 『はづ別館、客が値段を決めるシステム導入の驚異的影響…年間120本の取材依頼』
・第3回 『はづ別館、なぜ「客が値決めするシステム」は終了したのか…30年間で得た知見』
バブル崩壊後、はづ別館を営んでいた加藤氏は、経営難に陥った旅館の再生などグループ経営に着手し始める。平成3年に「はづ合掌」、平成6年に「はづ木」、平成8年に「湯の風はづ」、平成13年に「和のリゾートはづ」と、次々にオープンさせている。
こうした旅館の再生のポイントに関して、もちろんコスト管理は重要であるが、それ以上に各旅館が提供したい価値を明確化させ、それぞれに個性を出し、ほかの旅館との差をつくることが肝要であると加藤氏は語る。
また、ほかの温泉地との差づくりに関して加藤氏は、「湯谷温泉には余分な施設は必要なく、大きな開発も欲していない。湯谷温泉にはJRの踏切があり、自動車1台がやっと通れる幅しかないが、そのままでよい。それくらいの不便さが来客にとってもよい」と語る。
なぜなら、有名なほかの観光地を真似し、大型開発をしたところほど、その後、状況は悪化しているからである。筆者は、愛知県で人気の観光地である日間賀島の関係者からも同様の話を聞いたことがある。「本州に通じる橋ができれば便利になり、土地の値段も上昇するかもしれないが、不便さこそがこの島の魅力」と語っていた。
地方再生において、しばしば国の補助などを求める声を耳にするが、真の再生における自助の重要性を改めて感じた次第である。
新たにオープンさせた各旅館の特徴に注目すると、まず「はづ合掌」はその名の通り、越中八尾(富山県)から移築した合掌造りの旅館である。本格的な合掌づくりを移築した旅館は、恐らく日本初であろうとのこと。コンセプトである「1日5組の限定客に対して、どうぞ退屈してください。そして、それがいかに贅沢かを味わってください」も話題となり、多くのメディアから取材依頼が殺到した。
また、「はづ木」は“旅館イコール和食”という既成概念を取り払い、「顧客に健康を提供する」をコンセプトに、薬膳料理に注力している。このサービスを始めるにあたり、加藤氏自身が中国に渡って漢方などに関わる調査を実施している。その際、偶然にも上海のホテルで薬膳のイベントが開催されており、その上海のホテルと提携し、ホテルのコックを「はづ木」に招いている。この辺りの行動力は、創業者ならではといえるだろう。現在、「はづ木」はグループでもっとも利益をあげている。
こうしたグループ経営において、「厳しい時期もあったが、はづ別館が一貫して黒字であったため、なんとか支えることができた。支えてくれた客に感謝している」と、加藤氏は語っている。
客値決めシステム、これからどうするか
はづ別館が採用して話題となった「客が値決めするシステム」については5~6年前、テレビの取材時に、跡継ぎである息子が「やります」と宣言したため、どういう形式になるかはわからないが、恐らく今後も続いていくだろうという。
加藤氏は客値決めシステムに関して、「自分が始めたことであったため、使命感のようなものがあり、続けてきた」と語っている。もちろん、息子がやるというなら頑張ってほしいが、重要なポイントは息切れせず、自然と自分のものになるかであると指摘する。加藤氏は性善説で頑張ってきたが、「100円の価格をつけられても耐えられるか」が成否の分かれ目になると分析している。
もっとも、社会の変化、それに伴う価値観の変化を意識することは重要である。昔の旅館は、客が事前にわざわざ散髪に行き、良い服を着て綺麗にしてくる特別な場所であった。しかし、今はカジュアルな服装で自前のシャンプーを持ってくるなど、時代は大きく変わっている。
たとえば、筆者も記憶があるが、昔は宿泊料が1万円であれば、1000円程度、接客担当者に手渡すといった客の気遣いは当たり前のごとく見受けたが、現在ではそうした慣習も消えてしまっている。旅館においても、合理的なサービスに徹するところが増えてきている。
客値決めシステムは旅館・客双方が自然に気づかい合うという暗黙のルールのもとではうまく回っていたが(もちろん、息切れせず、徹する経営者の強い覚悟が求められるが)、現在のようにドライな関係が広まる世の中においては、さまざまな工夫が必要になってくるように感じられる。
この点に関連し加藤氏は、「価値観」と同様に「評値」という言葉を流行らせたかったと語っている。たとえば、50円のボールペンなら一般に安いといわれるが、購入した消費者が書きにくいと感じれば、50円でも高いとなる。よって、はづ別館では、たとえば宿泊料を1万円と宿側が一応設定するが、客がチェックアウト時に6000円と判断すれば、その金額でよいという取り組みを行っていたこともあり、これを加藤氏は「評値」と名付けたのである。
筆者は取材にあたり、はづ別館に宿泊し、特別に客値付けシステムを体験させていただいた。チェックアウト時にいくらと記入すべきかは、大変難しいというのが実感である。もちろん、もてなしてもらった相手に失礼があってはいけない。かといって、大盤振る舞いすることが正しいとも思えないし、そのような余裕もない。こうしたことを考えていると、宿の価値を評価するというよりも、まさに自分の価値が試されるように感じた。恐らく良識ある多くの客は大いに頭を悩ませることになるだろう。
最近目にする客値決めのシステムは、売り手が最低料金のようなものを決めたうえで、満足度に応じて料金を上乗せして支払うものが多い。このシステムは欧米を中心に古くから一般化しているチップと実質的には変わらない。つまり、売り手が決めた定価のプラスアルファであるため、大きなリスクを伴うことはない。しかし、はづ別館が行っていた客値決めは、本体価格そのものを客に依存する。このシステムを継続して行っていくには、客もしくは人間への信頼、経営者としての強い覚悟が求められる。
「一線を退いた」とおっしゃっていた加藤氏は75歳。いまだ大変エネルギッシュであった。よって、最後の大仕事として、現代の社会にマッチした客値決めシステムの構築および運用を軌道に乗せていただきたいと個人的には願っている。
はづ別館におけるこうした取り組みは、高校の教科書に掲載される予定になっているという。もちろん、素晴らしいことではあるが、単なる仕組みの紹介ではなく、このシステムを実際に継続していく経営者やスタッフの覚悟のようなものにまで触れてほしいと思う。
(文=大﨑孝徳/神奈川大学経営学部国際経営学科教授)
『謝辞』
調査において大変お世話になった、株式会社はづ代表取締役会長・加藤浩章氏、ならびに、はづ別館のスタッフの皆様に心より御礼申し上げる。もちろん、本稿における誤謬はすべて筆者に帰属する。
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