しかしK部長は「いや、いらんね、人事部の仕事取り上げるんで、仕事がなくなるよ。だから、会社に来なくていいよ。有休消化して辞めたら?」と迫り、「会社では仕事ないので、S業務部長に頼んで、店長として働けるかもしれない。あんた、どこに住んでいるね? 関東か。働くとしても北海道、大阪、名古屋かもしれないけど」と言った。
堀田氏は再度「このまま働かせてください」と頼むと、K部長は「だから、いらんて。 あんたは信頼を裏切ったんだ。辞めたら?」「辞めたらよかねん」とテーブルを叩き怒鳴った。堀田氏は、即答するのを避けて、「2日後に返事をします」と言ってその場を逃れた。
こうして会社を出た堀田氏は、空港に向かう途中で夫人に電話をしたが、K部長に恫喝された動揺が収まらず、うまく話せなかった。心配した夫人は羽田空港まで迎えに行き、堀田氏は取り乱して泣き出し、夫人に付き添われて帰宅した。
その後、「まずは、静養しましょう」との夫人のアドバイスにより、堀田氏は前月の永年表彰による特別休暇と有休を使い、9月12日まで休むことにした。K部長には、退職についての返事を「12日には報告します」と伝えた。
堀田氏は休暇中、労働局に相談に行き、安易に退職願を出さないよう指導を受けた。そして12日、堀田氏はK部長に電話をし、「メールを送ったのは本当に軽率でした。申し訳ないと思っています」と説明し、継続雇用を申し出た。すると、K部長は「それはダメ。あんたいくつ?」と聞いてきた。50代と答えると、「その年になって会社人としてやってはいけないことがわからないのか。会社に信用も信頼もないんだから、辞めなければいけない」と迫った。K部長からのあまりの圧力に堀田氏は恐怖し、「退職願を書きます」と言ってしまった。こうして14日に「会社都合による退職勧奨のため退職いたします」と書いた社長宛の「退職願」を提出し、翌15日付で退職した。
●会社を相手取り提訴へ
堀田氏はしばらくは失業保険でしのいだが、やがてそれも尽きた。50代で再就職は難しく、2人の子どもがいるため家計が苦しくなり、安価な物件に引っ越した。
その後、時給850円でレストランで働いたが、その店は8カ月後に閉店。現在は時給1000円でスーパーの臨時社員の職を得て、総菜部で揚げ物を揚げたりしている。収入はプレナス在籍中の半分以下に下がった。
そして退職に追いやられたことに納得のいかない堀田氏は、12年に会社を相手取り、地位確認と、退職日以降の給与、引っ越し代、慰謝料などを求め、東京地裁に提訴した。堀田氏の訴えに対しプレナス側は、「K部長は罵倒はしていない」と主張しつつも、退職勧奨していたことは認めた。
13年6月5日に下った判決では、「K部長に退職強要をされた」との堀田氏の主張に対し、堀田氏が当初は2日後に回答すると言っていたのに一週間休暇を取り、その通りにしなかった点について「不自然」と指摘し、「K氏の陳述書、証言に照らしても、原告供述等は信用し難い」とした。また、「K部長が罵声を浴びせていた」との主張についても、「罵声を浴びせるなどして一方的に退職を強要したことを認めるに足りない」と退け、退職強要ではなく退職勧奨だと認定した。
そして、このK部長の退職勧奨について、「原告の前途が閉ざされていることを強調している面はあるものの、退職勧奨に応じない場合の不利益を殊更に強調したり、原告の人格を否定するような罵声を浴びせたりしたようなものとまではいえない」とした。また、K部長が堀田氏に退職願を書くよう伝えたのは、電話による約15分の会話だったことや、労働局に安易に退職願を書かないよう言われていたのに書いたことを挙げ、「このような経緯に照らせば、退職願の提出による意思表示自体が、原告の真意に基づかないものということもできないというべきである」とし、原告の請求を却下した。堀田氏の完全敗訴である。
このように、一審判決は会社側の主張を全面採用したかたちだが、「もう人事部では任せられる仕事はない、他部署で受け入れるところもない」というのは、事実上、解雇に等しい行為ともいえるのではないか。
この事件の教訓の一つは、退職勧奨は、気の弱い社員がターゲットになるケースが多いという点だ。また、プレナスには組合がなく、退職金支給額をめぐり会社側に疑問を呈するというのは、組合活動としては一般的な行為である。組合がしっかり機能していないと、会社に異議を唱えた途端、退職に追い込まれるリスクがあるということを、この事件は示しているといえよう。
(文=佐々木奎一/ジャーナリスト)