話題のサードウェーブコーヒー、「昭和の喫茶店」が復活?フル型、急激活性化する喫茶店業界
「現象の裏にある本質を描く」をモットーに、「企業経営」「ビジネス現場とヒト」をテーマにした企画や著作も多数あるジャーナリスト・経営コンサルタントの高井尚之氏が、経営側だけでなく、商品の製作現場レベルの視点を織り交ぜて人気商品の裏側を解説する。
近年の喫茶業界では「サードウェーブコーヒー」のコンセプトを掲げた店が増えており、メディアでもよく耳にするようになった。サードウェーブコーヒーとは、文字どおり「第三の波のコーヒー」という意味で、米国から来た言葉だ。
米国におけるファーストウェーブは(年代は諸説あるが)「1970年代までに味気ないコーヒーの脱却を図った時期」、セカンドウェーブは「71年創業のスターバックスコーヒー(スタバ)に代表されるシアトル系コーヒーが主流となった時期」、そしてサードウェーブは「90年代後半から、生産国でのコーヒー豆栽培や淹れ方にまでこだわるようになった動き」のこと。
セカンドウェーブの主役はエスプレッソ系コーヒーだったが、サードウェーブではそれがドリップ系コーヒーに交代したことも特徴で、発祥地はシアトル以外の西海岸だ。
実はサードウェーブコーヒーには、日本の喫茶店文化が色濃く反映されている。その関係について紹介してみよう。
「サードウェーブコーヒー」と「昭和の喫茶店」の関係
サードウェーブコーヒーの特徴をもう少し詳しく記すと、(1)生産国でのコーヒー豆の栽培を重視、(2)流通過程の透明化、(3)自家焙煎、(4)コーヒーの淹れ方にこだわり1杯ずつ手作業で抽出する――が挙げられる。実は、このうち(3)と(4)は昭和時代の日本の喫茶店で行われていた作業だ。
現在のドトールコーヒーやスタバに代表されるセルフカフェ(7月14日付当サイト記事『拮抗するスタバとドトール、意外に多い共通点とは?出発点やコンセプト、店づくり…』参照)が台頭する前は、今よりもずっと日本国内各地に個人経営の喫茶店があった。
ほとんどが「マスター」と呼ばれた男性店主や「ママ」と呼ばれた女性店主が始めた店で、特にマスターは、コーヒー好きが高じて独学でコーヒーについて勉強して開業した人が多かった。
こうして、こだわりのコーヒーを提供し、お客の支持を集めた店の中には、チェーン店化したところもあった(当時は、長年働いた従業員に「のれん分け」をして屋号を使わせた店も目立った)。
高度成長期の喫茶店業態の1つに「サイフォン喫茶」と呼ばれた店がある。これはサイフォンのコーヒー器具を使って1杯ずつ丁寧にコーヒーを淹れた店のことだ。この器具を開発した国産老舗メーカーにHARIO(ハリオ)があり、57年に発売した「S7型サイフォン」が人気を呼び、同社の製品を導入する喫茶店も多かった。
HARIOが2005年に発売したのは「V60透過ドリッパー」と呼ぶ器具だ。「布(ネル)ドリップのおいしさと紙(ペーパー)ドリップの手軽さを両立させたもので、コーヒーの粉の量が深くなる円すい形が、豆の旨みをしっかり抽出する」(同社)という。
だが、発売後しばらくは売れなかった。それが10年頃から米国西海岸で人気に火がつく。きっかけは口コミだった。さらに、コーヒーを淹れる職人であるバリスタの世界選手権「ワールドバリスタチャンピオンシップ」の優勝者が同製品を使っていたことや、人気コーヒーチェーン「Intelligentsia」のような現地のコーヒーロースターが、この器具で淹れるシーンをインターネットに公開して広まったことなども要因となった。
米国でサードウェーブを牽引した「ブルーボトルコーヒー」1号店にも、同社の製品が導入されており、ブルーボトルの経営者は日本の喫茶店をベンチマーキング【編註:他社の優良事例を分析し、自社に取り入れること】したという。
また、サードウェーブコーヒーを掲げる店にはサイフォン式をウリにする店もある。紙ドリップなどに比べて時間がかかることや、味を一定に保つことが難しく、機器のメンテナンスの手間もあり減っていたサイフォン式だが、本格的な淹れ方で来店客をもてなす気持ちも見直されてきたようだ。
大正、昭和懐古の落ち着く雰囲気
ここ数年、フルサービス型の喫茶店人気が復活してきた。人気の理由は居心地だ。スタバとドトールが国内店舗数1000店を超え、コーヒー業界では圧倒的シェアを誇っているが、名古屋発のフルサービス型の喫茶店「コメダ珈琲店」も552店舗(14年2月末現在)を数え、急拡大中だ。
フルサービス型喫茶店の多くは、落ち着ける雰囲気が重視されており、その店づくりのコンセプトの1つに「大正ロマン」や「昭和レトロ」がある。これは喫茶文化が華やかだった時代の内装を再現したものだ。
どの程度内装に凝るかで異なるが、大正ロマンであれば、焦げ茶色の壁やイスなど、モダン・ガール(モガ)やモダン・ボーイ(モボ)と呼ばれた若者が街を闊歩した時代の雰囲気だ。色合いを抑えることで、ホッとする空間を演出しているのだろう。
一方、昭和レトロには明確な定義はないが、筆者の肌感覚としては、大正ロマンに続く戦前の喫茶文化と、戦後の高度成長期の喫茶文化の両面があるようだ。
ちなみに戦前の喫茶店のピークは35年。東京市内(当時)だけで1万500店に達し、働く女給(ウェートレス)は5万人にも上ったという(参考『昭和・平成家庭史年表』<河出書房新社>)。これ以降は戦火が激しくなり、物資不足もあって多くの喫茶店は閉店に追い込まれた。しかし、戦後の高度成長期から再び隆盛を迎えていったのだ。
最新データにおける国内のカフェ・喫茶店数は7万7036店(09年時点。総務省統計局「平成21年経済センサス基礎調査」より)。店舗数だけ見ると、最盛期である81年の15万4630店の約半数に減ったが、最近は若手店主が次々に開業しており、最盛期の半減=衰退業種ではなく新陳代謝の激しい業界といえる。これからもサードウェーブコーヒーのような、新たな波が業界を活性化させ続けることだろう。
よく「歴史は繰り返す」といわれるが、サードウェーブコーヒーと喫茶店の復活を見ていると「歴史は進化して繰り返す」という言葉がふさわしいようだ。
(文=高井尚之/経済ジャーナリスト)