ブーム発祥地・アメ横の驚異、一日十数万人を集客し続ける秘密 JRとの死闘と共存
「現象の裏にある本質を描く」をモットーに、「企業経営」「ビジネス現場とヒト」をテーマにした企画や著作も多数あるジャーナリスト・経営コンサルタントの高井尚之氏が、経営側だけでなく、商品の製作現場レベルの視点を織り交ぜて人気商品の裏側を解説する。
地方だけでなく、大都市圏の商店街でも一部がシャッター通りとなる中、昔と変わらず人出が途絶えない商店街がある。正月用の食材を求める買い物客が年末の風物詩となっている東京・上野のアメ横商店街は、その代表格だ。
ちなみに2014年12月30日における来客数は1日約57万人。同27日から31日までの5日間で200万人弱が訪れた。ただし、お客の財布のヒモは固かったという。
1月中旬の平日に訪れたアメ横は、さすがに年末の喧噪は落ち着いていたが、買い物客は多かった。今回は各店の紹介ではなく、商店街の事務局側にスポットを当てて紹介しよう。
●流行に乗り、話題性を発信し続ける
同商店街は東日本旅客鉄道(JR東日本)上野駅と御徒町駅を結ぶ線路沿いを中心に約430店が立ち並び、普段の平日でも十数万人の人出で賑わう。もともと太平洋戦争の空襲で焦土と化した上野に、戦後まもなく闇市ができたのが始まりだ。
「アメ横の名は、戦後に駐留した米軍の横流し品である払い下げ衣類などを扱うようになった『アメリカ横丁』と、戦火で焼け出され甘いものを欲していた庶民に芋飴などを売った『アメ屋横丁』の両方に由来しています」
こう話すのは、アメ横商店街連合会名誉会長で上野観光連盟会長でもある二木忠男氏。「二木の菓子」や「二木ゴルフ」などアメ横の人気店を創業し、初代の同連合会会長も務めた二木源治氏(故人)の息子である二木氏は、子供時代から同商店街の変遷を見てきた。
新宿や池袋、新橋などの闇市が戦後の高度成長とともに高層ビルの繁華街に姿を変えた中、アメ横はいまだに発足当時の名残をとどめつつ、高い人気を維持する理由を、同氏はこう語る。
「いい商品を仕入れて安く売るという商売が支持されてきたことが第一です。それに加えてアメ横は時代の波に乗って、その時々の話題を発信してきたことも大きいです」
例えば、近年の話題は、13年に国民的人気となった連続テレビ小説『あまちゃん』(NHK)との連携だ。同番組の第二部・東京編では、能年玲奈が演じた主人公アキが人気アイドルグループ「アメ横女学園」の二軍扱いである「GMT47」に加入するところから始まった。その活動の舞台として登場したのが、同商店街にあるアメ横センタービルだった。
「NHKからアメ横に話があり、上野観光連盟も含めて全面協力しました。ドラマで放送された楽曲『暦の上ではディセンバー』を歌うベビーレイズが出演して、上野公園で無料コンサートを開いたこともあります」(二木氏)