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大塚家具騒動で再燃した「同族企業批判」は軽率 日清食品37歳社長誕生の真相

文=長田貴仁/岡山商科大学経営学部教授、神戸大学経済経営研究所リサーチフェロー
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 とはいえ、年功序列の要素が残っている日本の企業組織において、「30代の若僧」が多くの先輩を抑えてトップに就くことは現実的には難しい。三井物産のようなサラリーマン社長が就任し続けてきた会社では、54歳の安永竜夫執行役員が役員序列で32人抜きを果たし新社長に就任する(4月1日付)トップ人事が大きなニュースになる。抜かれた先輩たちの思いをつづった記事が、週刊誌に大きく掲載されるお国柄である。それゆえ、30代で社長になるには、相当な根回しをするか、強権を発動するしかない。このような「世界の非常識」が「日本の常識」である状況下では、大胆であると見られるトップ人事を行えるのがファミリービジネスの強みといえよう。

ワコール、世襲社長の山あり谷あり

 しかし、ファミリービジネスといえども、上場企業で二代目、三代目が若くして社長に就任すると、「いまどき世襲か」と冷たい目で見られるのが現代の一般的傾向である。それは、今に始まったことではない。

 ワコール創業者・塚本幸一氏の長男である塚本能交氏が1987年、40歳を前にして社長に就任した直後に、筆者はインタビューしたことがある。開口一番に発したのが次のセリフであった。

「皆さんご存じのように私は、頭も悪いし、スポーツも苦手です。子供の頃は、『やーい、パンツ屋の息子』と言われて、いじめられていました。何もできない奴ですので応援してください」

 筆者は、社交的である一方、先祖を敬う厳格な創業者(幸一氏)にインタビューをしたことがあるだけに、父子のイメージに大きなギャップを感じた。しかし、理屈抜きで人当たりの良い人であるという第一印象を持ったものだ。そもそも社長になった動機も他のトップと違う。

「すごく怖い番頭さんと優しい番頭さんがいらっしゃいました。ある日、怖い番頭さんから『ちょっと来い』と呼ばれました。行ってみると突然、『社長になれ』と言われたのです。思わず、『はい』と言ってしまいました。父とはあまり話をする機会はありませんでしたが、番頭さんからは可愛がられたり叱られたりしていました。小さい時、銭湯に行って体を洗ってもらっていた人ですよ。逆らえませんよ」

 その後、紆余曲折はあったが、アメリカを中心に海外展開を成功させ、24年間にわたり「安定政権」を築いた。就任当初と比べれば年を重ねたこともあり貫禄が出てきたが、基本的な性格は、あまり変わっていない印象だ。

 土曜日は家にいて、テレビで競馬を観戦しているという。従業員と飲む時は、お酌もして回る。実力以上にしっかりしたふりをするだけでは人はついてこないことを最初から自覚しながらも、要所要所で強い権限を発動した。もちろん、それが裏目に出たこともある。社長就任時は、世襲経営者によくある傾向が見られた。「父の事業を継承するだけでなく、自分の力で大きな新事業を成功させたい」――これである。もちろん、新規事業創出という観点からすれば、大切なモチベーションである。否定すべきものではない。だが、それを成功させるには、きっちりとした戦略が土台にあり、経営資源が整っていなくてはならない。

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