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大塚家具騒動で再燃した「同族企業批判」は軽率 日清食品37歳社長誕生の真相

文=長田貴仁/岡山商科大学経営学部教授、神戸大学経済経営研究所リサーチフェロー
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 社長初期の能交氏は未熟だった。京都のレーシングカーコンストラクター・童夢のスポンサーになり、1億円もするスーパーカーの製造・販売やライセンスビジネスに手を出したが、すぐに撤退した。さらに、フローズンヨーグルト、紳士服の販売にも参入するが、すべて失敗に終わった。それでも、父・幸一氏が「失敗は良い経験になった。体で覚えた失敗は成功の要因になる」と弁護ともとれる発言をして解任しなかったことが、今もジャーナリストたちから「世襲経営の失敗事例」として取り上げられている。

 それにとどめを刺す事件が起こった。09年8月、東京・六本木ヒルズのレジデンス(高級住宅棟)の一室で女性が死亡。それに関わったとして、俳優の押尾学が合成麻薬MDMAを使用した麻薬取締法違反容疑で逮捕された。事件発生現場は、ワコールが買収し完全子会社化した女性用ランジェリーの通信販売会社、ピーチ・ジョンの創業社長である野口美佳氏が個人名義で借りていた部屋だった。野口氏は押尾だけでなく、他のタレントたちとも派手な交流で知られていた。女性用下着というファッション商品を扱う企業の性格上、その経営者には厳格さだけでなく、華やかさが不可欠と考えていたのかもしれない。

 ワコールの幸一氏も第二次世界大戦時、中国や東南アジアを転戦し、インドでインパール作戦に加わり生き残った経験からか、戦中派独特の「生かされた人の思い」を備えていた。その一方で、「都をどり」の実質的スポンサーを務めるなど、非常に華やかな行動とネットワーク力で、京都財界では一目置かれていた。その異色の資質が、京都の若い経営者も育てた。京セラ創業者の稲盛和夫氏は振り返る。

「何か会合があると、『稲盛君も来ないか』と電話をいただきました。社交下手な私が、たくさんの立派な経営者とお会いできたのは、塚本(幸一)さんのおかげです」

 能交氏も幸一氏の華やかさを引き継いだ。憎めない人柄で、地味なサラリーマン社長が不得意とする派手な人も違和感なく近づいてくる。うまくすれば、新しい世界が広がる。下手をすれば、思わぬ落とし穴が待ち受けている。貧乏臭くない二代目が気をつけなくてはならない点である。「そんなことは言われんでもわかってるわ」とシニアになった能交氏から叱責されそうだが、六本木事件の失敗からも大きな教訓を得たはずである。

●公人としての自覚

 現在、北京ワコール総経理時代、中国での事業を拡大し、国内でもメンズ事業などで実績を残した生え抜きの安原弘展氏に権限を委譲した。能交氏自身は兼務していた持ち株会社のワコールホールディングスの社長を引き続き務め、9つの事業会社を統括している。

 能交氏が口に出し強調しているわけではないが、結果的に「足るを知る」を悟ったのではないだろうか。これは自身を卑下する単純なコンプレックスではなく、自分の足らない点を能力ある人に補ってもらう、という経営の神髄を、身をもって学んだと考えられる。

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