調味料が発酵食品だった40年前
1975年頃といえば、筆者が20代前半から中盤の頃だが、思い返してみると、今のように揚げ物ばかりのメニューなどあり得なかった。JR新宿駅の西口にあった、薄暗く狭い定食屋(夜は呑み屋になる)が立ち並ぶ一角でよく食事をしたが、煮魚、肉じゃが、かぼちゃの煮物、ほうれん草のおひたし、そしてわかめの味噌汁などが、筆者の定番メニューだった。その店のメニューが、徐々に揚げ物の比率が高くなっていった頃に、筆者の足は遠のいていった。
街には1971年に日本に初めてショップを開いたハンバーガーショップが次々と店舗を増やし、同じようにドーナツのチェーン店、牛丼のチェーン店も毎日のように新店を出していた頃だ。
この40年間、さらには戦後73年間、私たち日本人はいったい何を食べ続けてきたのだろう。その結果、私たちは日本という国のあり様をどう変えてきたのだろうか。
40年以上前、よく使われていた食材は、大豆、魚介類、季節ごとの野菜、海藻、キノコなどで、今よりも果物の消費量も多かった。コーヒーも飲まれてはいたが、圧倒的に緑茶の消費量も多かった。また、あの頃はまだ味噌も、醤油も、酢も、みりんも、みんな“本物”だった。つまり、調味料自体が発酵食品だったのだ。発酵を繰り返してつくられる調味料を使っていれば、最近女性たちの間ではやっているように夢中になってヨーグルトを毎朝食べ続ける必要もないだろう。
添加物だらけで化学調味料頼みの“まがいもの”ばかりの調味料が並ぶなかから、本物の調味料を探し出すのさえ一苦労という現代の食のあり方は、どう考えても異常だ。それらに含まれる化学物質は、毎日毎日私たちの体の中に侵入し、少しずつ少しずつ私たちの健康に害を与える。
現代において、まったく毒物を摂取しないということは、もう考えることさえできない。しかし、その量が閾値を超えてしまうと、体は多大なダメージを負うことになるが、多くの現代人は、それを超えてしまっている。その積み重ねが、私たちの健康のレベルを決定的なものにしている。
本連載でもたびたび述べてきたように、個々人の健康の総和が、国としての健康レベルとなり、それが結局は国としての姿かたちにつながっている。超高齢化路線をまっしぐらに突き進むこの国を、なんとか円滑に動かし続けていくためには、多くの国民が健康であることは必須項目のひとつに挙げられるだろう。
筆者は筆者なりに、このことを真剣に考えてきた。そして今、ある結論を得た。そのことを多くの方々にご理解いただきたいと思い、無料のメールレッスンを始めている。興味を持ってくださった方にはぜひ、ご登録いただきたい。
私たちの食は、私たちの選択によって、良くもなり、また悪くもなっていく。その指針、基盤を築くために、この無料のメールレッスンをご活用いただけたら幸いである。
(文=南清貴/フードプロデューサー、一般社団法人日本オーガニックレストラン協会代表理事)
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