精神科医の香山リカ氏が朝日新聞に寄稿し、「いちばん力を入れているのはSNSのツイッターにコメントをくれた人たちとのやり取りだ。もちろんすべてに目を通すことはできないが、特に『匿名』での『賛意ではなく批判(罵倒や誹謗中傷もある)』に応じるように心がけている」と述べた。それに対して、ツイッターでブロックされたと主張する人たちが「大ウソつき」「対話拒否の女王」などと批判している。
もしもブロックされた人がそんなにたくさんいるのなら、「批判との対話続ける」という香山氏の主張と食い違う。ちなみに香山氏のツイッターアカウント上には「自動ブロックツールはやめたけどまだたくさんの人をブロックしたままなんで、手動で少しずつ解除してるんだ。ブロックされてるあなたもいつの日か必ず解除するんでお待ちください!」と記載されており、自分に批判的な人をブロックしている事実を認めているように見えるが、それが香山氏の記憶から抜け落ちているのではないかと疑いたくなる。そうだとすれば、自分がブロックしなかった人の許容範囲内の批判だけに対応しているにせよ、「批判に応じるように心がけている」と香山氏が認識しても不思議ではない。
このように、自分が経験したにもかかわらず、不都合な事実や思い出したくない出来事が意識からすっぽり抜け落ちる現象を、フランスの神経学者、シャルコーは「暗点化(scotomisation)」と名づけた。
「暗点」とは視野の中の欠損部分であり、それによって見えない箇所が生じる。それと同様に意識野に「暗点」ができて、ある種の体験や出来事が全然なかったかのように認識するのが「暗点化」である。
「暗点化」は、その後「事実否認」のための防衛メカニズムの一種としてラカンやラフォルグなどのフランスの精神分析家によって用いられるようになった。自分にとって都合の悪いことや望ましくないことが意識にのぼってこないようにして、葛藤を避けるための無意識のメカニズムとみなされている。
平たくいえば心穏やかに暮らすための自己防衛の手段だが、その自覚が本人にはない場合がほとんどだ。そのため、「不都合なことは忘れて、自己正当化している」「自分のやったことを忘れて、知らないふりをしている」などと批判されやすい。
「暗点化」が起こりやすいのは自己愛の強い人
「暗点化」は誰にでも起こりうる。ただ、起こりやすい人と起こりにくい人がいる。「暗点化」が起こりやすい人には、しばしば次の4つの特徴が認められる。
(1)他人に善人だと思われることを強く望む
(2)体面や世間体のためには人並み以上に努力する
(3)自分には欠点がないと思い込んでいる
(4)罪悪感や自責の念に耐えることを拒否する
今回の香山氏の例でいえば、他人の批判を受け入れる心の広い善人だと思われたいという願望が強かっただろう。また、心の広い善人と認めてもらえれば、体面も世間体も保てる。何よりも、自分には欠点がないと思い込んでいたいし、罪悪感や自責の念にさいなまれるのも嫌だからこそ、「暗点化」が起こったのではないか。
これらの4つの特徴は、煎じ詰めれば自己愛に由来する。だから、17世紀のフランスの名門貴族、ラ・ロシュフコーの「自己愛は、この世で最もずるい奴より、もっとずるい」という言葉は的を射ていると思う。
もっとも、とても他人事(ひとごと)とは思えない。精神科医には強い自己愛の持ち主が多く、私自身も例外ではないからだ。それを自覚して、自分がやったことや見聞きしたことに「暗点化」が起こっていないかと常に気をつけながら、できるだけ意識にのぼらせるようにしているのである。
(文=片田珠美/精神科医)