「発達障害=天才」は本当か?…宮沢氷魚が演じた“ASD画家”の描かれなかった“背景”
今年5月に公開された映画『はざまに生きる、春』が話題を呼んでいる。同作は、雑誌編集者の春(演:小西桜子)が仕事を通じて出会った画家・屋内透(演:宮沢氷魚)に徐々に心を傾けていく様子を描いたラブストーリーだ。「青い絵しか描かない」透は、感情を隠さず嘘をつけない発達障害の特性を持つ。人の顔色をうかがってばかりの春にはそんな彼の姿が新鮮に映るが、距離が近づくにつれてもどかしさも生まれていく――。
監督・脚本を務めたのは、これが商業映画デビュー作となる葛里華監督。発達障害の特性を持つ人物との恋愛をテーマにした作品をつくることは、かねてよりの念願だったという。本作を、発達障害に関する多数の著書を発表している昭和大学附属烏山病院病院長・岩波明氏はどう見たのか? 2人の対談、今回はその後編をお届けする。
岩波明(以下、岩波) 僕は以前メディアで、フィクションに登場する精神疾患や発達障害の特性を持つキャラクターを取り上げる連載をしていたことがあるんです。有名なところだと、英BBCのドラマ『SHERLOCK』(2010年より断続的に放送)の主人公シャーロック・ホームズ(演:ベネディクト・カンバーバッチ)は、ASDの特徴をよく持っていますね。作中で明言はされていませんが、ずば抜けた記憶力や観察眼を持ち、他人の感情が推し量れなかったり容赦ない言動をするあたりは、高機能のアスペルガー症候群の特性と一致しています。
近年のフィクションでは世界的に、アスペルガー症候群を思わせる要素がずいぶん積極的に取り入れられるようになりました。葛監督は映画『はざまに生きる、春』を撮る上で、何かそうした作品は参考にされましたか?
葛里華(以下、葛) 私が参考にしたのは『恋する宇宙』(2009年、アメリカ/天体に詳しい“アスペルガー症候群”の男性と、童話作家志望の女性とのラブストリー)という映画ですね。『はざまに生きる、春』の脚本を書いた後にこの作品の存在を知って、観てみたらすごく好きになって。『はざまに生きる、春』でも、こういう雰囲気を出せたらいいなと思いました。
岩波 私もいろいろな作品を観ましたが、本作の宮沢氷魚さんの演技は、発達障害当事者を非常にうまく表現されていたと思います。
葛 うれしいです。宮沢さんにも当事者の方に会ってもらったり、医療監修の先生に演技を見てもらったりしました。透くんは発達障害の特性として言葉で表現するのが苦手なので、言葉が出てこないときのイライラやモヤモヤを手や身体の所作でどう表現するか、宮沢さんと話し合ってつくっていきました。その中で、画家という手を使う職業だから手をポイントにしようという話になって。当事者の方に取材する中で、たとえばしゃべるときに身体のどこかを動かすような癖がある方が多い印象を受けたのも、その理由でしょうか。
岩波 そうですね。体をちょっと傾けていたり手をずっと動かしていたり、そうした方は多いです。僕の患者さんでも、親指と人差指をこすり合わせる癖がある方や、折り紙をしていないと落ち着かないという方がいますね。
一方で少し気になったのは、作中で描かれはしませんが、透くんはご家族とはどういう関係なんでしょう? そのあたりは、葛監督の中では何か設定があったんでしょうか?
葛 一応自分の中では、「彼のお父様も発達障害の特性を持っていて、だからこそ息子に対して早い段階から理解があった」という設定がありました。「小学校ぐらいでちょっと周りとうまくいかなくなって、中学に入ると学校に通えなくなったから通信高校に行って、そこで絵に出会って今は1人で暮らしている」というのが、透くんの背景にあるものです。でも多分、作中ではそれがまったく伝わっていなくて……完全に、脚本家としての私の技量が足りなかったところかなあと思いますね。
岩波 なるほど、背景にはそういうストーリーがあったんですね。なぜそこが気になったかというと、透くんは、ASDの人にしては“しっかりやれている”という印象を持ったんです。現実に発達障害で通院されている患者さん方を見ていると、もうちょっと“破綻している”というか、やはり生活上のさまざまな困難を抱えているというか。画家として絵を売るにしてもなんにしても、対人接触が結構あると思いますが、そういうところを含めて、1人でも結構うまくやれていて、かなり健常者に近いように感じました。これは批判ではないのですが、何かもっと、透くんが失敗したりダサくなってしまったりするところがあったほうが、当事者を描くという意味ではリアルだった気もします。
葛 なるほど。できあがった作品に対してすごく満足はしてるんですが、脚本を書いたのが3年ぐらい前で、撮影も2年以上前ということもあって、公開後のみなさんの意見はすごく勉強になります。次作ではもっといろんなものを描いてみたいですね。
描かれた世界の“神”となれるマンガ家には、発達障害当事者が多い?
葛 里華(かつ・りか/写真左)
1992年、愛知県生まれ。慶応義塾大学に入学後、映画サークルに所属し、映画制作を開始。同大理工学部を卒業後、出版社に勤務。マンガ編集者として働くかたわら、映画製作も続け、2019年には監督・脚本・編集を手がけた『テラリウムロッカー』を制製作する。同作はカナザワ映画祭を始め、MOOSIC LAB 2019や知多映画祭など多くの映画祭に入選。初の長編作であり脚本も務めた『はざまに生きる、春』は、商業映画デビュー作ともなった。
岩波 明(いわなみ・あきら/写真右)
1959年、神奈川県生まれ。精神科医。東京大学医学部卒。都立松沢病院などで精神科の診療に当たり、現在、昭和大学医学部精神医学教室主任教授にして、昭和大学附属烏山病院の病院長も兼務。近著に、『精神鑑定はなぜ間違えるのか?~再考 昭和・平成の凶悪犯罪~』(光文社新書)、「これ一冊で大人の発達障害がわかる本」(診断と治療社 )などがあり、精神科医療における現場の実態や問題点を発信し続けている。
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冒頭の岩波氏の発言の通り、近年はフィクションの中で発達障害当事者、あるいはそれと思わせる要素を持ったキャラクターが登場することが増えている。そうした場合、『SHERLOCK』がまさにそうであったように、ある種の”天才”や突出した能力を持つ人物として描写されることは多い。しかし、「発達障害=なんらかの突出した才能がある」というイメージは正確ではないとして、当事者や支援者からは批判も出ている。
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岩波 比率で考えると、「発達障害の方に、クリエイティブな才能を持っている人やイノベーティブな人が突出して多い」とは僕自身は思いません。ですが、社会に大きな変革をもたらす人物、現代でいえば起業家のような人がASDやADHDの特性を持っているケースは、非常に多いでしょうね。最近何かと話題のイーロン・マスクは、自身がアスペルガー症候群であると言っていますね。僕が見る限りでは、どちらかというとADHDであるように思いますが……。
あるいは突出した才能という意味では、ピカソやレオナルド・ダ・ヴィンチ、葛飾北斎なんかもそうだと思います。葛監督は普段はマンガの編集をしておられるそうですが、マンガ家さんにも多いんじゃないでしょうか。普段はボーッとしているけれど、過剰集中的に没入して仕事をする……というのも、発達障害における障害特性の大きな要素なのですが、この特徴を持つ方は、マンガ家やイラストレーター、画家など美術家全般に多いのかなと思います。
葛 没入して何かをつくる作業と親和性がすごく高いので、社会の中で生きていくための選択肢として、イラストレーターやマンガ家という職業を選ぶ人が多いということは、もしかしたらいえるかもしれませんね。
岩波 仕事として、会社員なんかよりははるかに自由度が高いですからね。
葛 商業映画をつくってみて感じたのは、映画は1人では絶対につくれない、ということなんですよね。多くの人に対して、自分の世界をどういうふうにつくり込んでいきたいか、説明できなければならない。もちろん、圧倒的なヴィジョンがもともとあって、それだけでまわりを引っ張っていける方もいるとは思いますが、映画監督って基本的には、コミュニケーション能力がないと難しいんじゃないかと感じます。普段かかわっているマンガとは、製作過程がまったく違うなと強く思いました。
マンガ家さんは、自分で世界を立ち上げて、すべてを自由に動かす……いわばその世界の“神”になるわけですよね。やり取りをするのは基本的に担当編集のみで、しかもほとんどが一対一。そこの相性さえよければ大丈夫、というのがマンガのつくり方なので。
岩波 発達障害の方が苦手なのは、「調整」なんですよね。一般企業においてもそれがネックになりがちです。たとえば企画を考えることは得意でも、その実現のために各部署に根回しをしたり、担当を割り振っていろいろと相談したり、あるいは他社と交渉しながら調整したり……という作業がまったくできないし、やりたくないという方は多い。
葛 そうですね。取材でお話をうかがっていても、みなさん、自分が何が苦手でどういうことをしたらトラブルになりやすいか、大人になると比較的わかってらっしゃるんですよね。治せなくても、自分の特性を理解することはできる。役職について多くの部下をマネジメントをするのは絶対に無理だから昇進を断り続けて平社員のまま……という方もいました。
岩波 管理職になったことでうまくいかなくなってしまった、という人は結構います。会社としては「昇進させてやったのに」「出世したから幸せなはずだ」なんですが、発達障害当事者の気持ちとはズレがあるわけなんですよね。
僕の患者さんで、大企業に勤めていて部下も10人くらいいるんだけれども、「部下の面倒は見ない!」と決めている方がいますね。どちらかというとADHDで、非常に優秀な方です。上からは「ちゃんと部下の面倒を見ろ」と言われるんだけれど、「最後の最後は自分で全部やっちゃえばいいから」と考えているそうです。個人の能力は高いからそれで破綻はきたしていないんでしょうけど、それはそれでなかなか難しいところですよね。自分にマネジメント能力が欠けているのを自覚しているからこそ、「最悪、自分ですべて帳尻を合わせればよい」というわけです。
しかし、監督の挙げられた方のように、出世を完全に拒否してやっていくというのも、何十人何百人が同期として入社してくる大企業だと、みなが同じように出世していくわけで、出世しないのもそれはそれでまたつらいと感じる人もいるでしょうしね。
葛 ずっと平社員でいたらいたで、同僚たちはどんどん若くなっていってまわりから勝手に気を遣われて、でもそういう文脈をうまく読めなくて……という難しさが、今度は出てきますよね。
岩波 結局、日本の企業はどうしても、現場での実力よりも調整力や総合力のほうを重要視していますからね。しかしそれでは能力のある個人は埋もれてしまうわけで、そうした考え方がいつまでも続くのはよくないのではないか、これからの時代、そうした日本のシステムも少しずつ変わっていくべきではないか、と思いますね。
(構成=斎藤 岬)
『はざまに生きる、春』
仕事も恋もうまくいっていない雑誌編集者の小向春(演:小西桜子)は、「青い絵しか描かない」こだわりをもつ画家・屋内透(演:宮沢氷魚)を取材することとなる。周囲の空気ばかり読み続けてきた春は、発達障害の特性から嘘がつけない透の自由さに強くひかれていくが、一方で、相手の気持ちをくみとることのできない透に振り回されることも増えていき――。
監督・脚本:葛里華 出演:宮沢氷魚、小西桜子ほか 配給:ラビットハウス
公式サイト:https://hazama.lespros.co.jp/