大阪の方言に「ごんたくれ」という言葉がある。手のつけられない腕白や乱暴な行いをする人に対して、愛着を持ちつつ使われる呼び名だ。
幼少期から、そうした「ごんたくれ」を地でいく人物が大阪市生野区に存在していた。そして、いつしかその人物は周囲から「ゴン太」と呼ばれ、恐れながらも頼りにされる存在になっていくのである。
その人物こそが、関西の裏社会にその名を轟かせ、一代で自らの組織を全国区にまでのし上げた、権太会(ごんたかい)の平野権太会長だ。
弱肉強食の関西の裏社会に名を刻むには、他者を寄せつけない圧倒的な暴力こそ必要不可欠だった。綺麗事だけでは決して生き残れない。背景に暴力があるからこそ、人はその人物に恐れおののき、同時に頼りとするのだ。言うならば、それこそがヤクザの典型的かつ理想の生き方で、それを地でいく平野会長には、多くのアウトローが惹きつけられ、その配下へと加わっていったのだ。そうやって勢力拡大してきたのが「権太会」である。
「ヤクザはどこまでいっても暴力こそがすべて。暴力を信奉する人こそがヤクザの親分へとなっていく。そして、そうした親分は、いつしか平和を望むようになる。確かに暴力団対策法が改正され、暴力団排除条例の施行により、ヤクザ社会を取り巻く環境は大きく変わった。だが、どれだけヤクザに対する厳罰化を打ち立てても、ヤクザの根底は変わらない」
長年、ヤクザ世界に携わってきた専門家が筆者に対して述べた見解である。確かにそうだろう。だからこそ、どれだけヤクザを弾圧しても、発砲事件などといった暴力を行使する事件が起こるのである。もちろん、その代償は大きい。
神戸山口組から平野会長の破門状が……
一代でその名を裏社会に轟かせた平野会長も、何度となく社会不在を余儀なくされた。だが、身体を何年も拘束されても、平野会長の心まで拘束することはできなかった。任侠道を歩む上で必要と思えば、暴力はいとわない。そうした生き様が、権太会の勢力を拡大させていったのである。
「権太会の幹部の面々それぞれが、大阪の裏社会では名が売れている。今ではそこに県外からのアウトローも加入しており、末端の組員や半グレまで含めると、その勢力はプラチナ級(山口組二次団体規模)と噂されているほどだ。大阪で有名になるには、日本で唯一暴動が起きた街・西成か、大阪随一の繁華街・ミナミで名を売っていくのが近道なのだが、その界隈で権太会長を知らない不良はいない」(地元関係者)
それはなにも社会に限ってのことではない。刑務所の中、特に関西管区の刑務所では、どこに行こうが、必ずといっていいほど、平野会長の舎弟か若い衆が存在している。
十数年前に、すでに隠然たる影響力を持っていた平野会長自身が大阪刑務所に務めている時などは、受刑者だけでなく、刑務官も、平野会長に最善の配慮をはかっていたほどだ。大阪のアウトロー界隈の頂点が、平野会長だといっても言い過ぎではないだろう。
その平野会長が率いている権太会は、これまで神戸山口組系に所属していた。山口組分裂騒動のさなかも、どこの組織と対立しても一歩も譲ることなく、勢力を拡大させ続けていたのだ。その権太会が神戸山口組を離脱するという話が業界関係者の間で駆けめぐり、激震が走ったのである。
きっかけは、平野会長が率いる権太会が今もっとも勢力を拡大させている六代目山口組系に加入するのではないか、という業界内からの噂であった。
「六代目山口組分裂後、六代目サイドで最も勢いがあるといわれ続けている組織があります。その組織に権太会が加入するのではないかと噂になったんです。その話は瞬く間に、関係者らに広まることとなり、権太会が神戸山口組を離脱するのではないかと憶測が広まっていったのです」(在阪のジャーナリスト)
権太会が神戸山口組を離脱し六代目山口組へと復帰を果たせば、六代目サイドと神戸サイド間で均衡を保っていた大阪の繁華街でのパワーバランスが一気に崩れることにもなりかねない。そうした声が強まる中で、権太会の上部団体であった神戸山口組三代目古川組から、平野会長に対する破門状が出たというのだ。
だが、それは平野会長自身が、望んだことであったという。
六代目山口組の分裂騒動の時計の針が今、大きく動き始めようとしている。
(文=沖田臥竜/作家)