那覇市の首里城で主要施設の正殿などが焼失した大火災。今なおよくわかっていないのが、主要防火設備の「放水銃がなぜ、満足に稼働できなったのか」ということだ。各社報道によると「手動の放水銃は火災に伴う熱気のため、消火に当たった警備員が近づけなかったという」としている。前例のない大火とはいえ、火災時にこそ使用できなければいけない放水銃に「人が近づけない」というのはどういうことだったのか。
県は「防火設備は十分」と説明
那覇市消防局は6日、首里城火災に伴う火災原因調査の途中経過報告を発表した。報告書では「5 日には、正殿の北側付近から発見された黒く焼け焦げた電気設備のボックスを開けて、中の調査を行っていますが、現在のところ原因の特定につながるようなものは出てきていません。現在、消防では電気系統の原因が有力と考えていますが、その他のあらゆる可能性を含めて調査を行っているところです」と説明した。火元の特定は現場消防職員の努力で着々と進められている。
一方、沖縄県は5日、県議会常任委で防火体制や文化財保護体制に関して説明。沖縄タイムスによると、上原国定土木建築部長が「正殿など建物の防火消防設備は消防法などの規定を満たしており、十分であると認識していた」と説明したという。つまり、設備は適正に配置されていたということだ。
放水銃に迫って設置されたステージ
首里城の放水銃は火元とみられている正殿の西側「御庭」の南北地面下に各1基ずつ格納されていた。いずれも正殿などの建造物から一定の距離を保っていた。正殿北側の建物外に1基、正殿東側にある組踊り用舞台前に1基の計4基があった。その後の実況見分などでも、放水銃が写っている映像は数多く出回っており、その存在を確認することができる。
大手キー局社会部記者は次のように話す。
「どれだけ影響があったのかわかりかねますが、西の『御庭』にあった2基、東側の1基の計3基の放水銃格納庫と正殿の間に、当日まで開催されていたイベントのステージや工作物が設置してありました。現場を取材した記者によると、放水銃の上にその瓦礫が崩れていたそうです。
特に御庭にあったステージはかなり大きく、高さも正殿の半分くらいあったということです。それが燃えていれば、確かに放水銃には近づけないでしょうね。本来は正殿から一定の距離があるので放射熱があったとしても使える仕様だったのでしょう。放水銃は確かに適正に設置されていたのかもしれませんが、運用面でどうだったのかという疑問が残ります」
那覇市消防局に放水銃と工作物の位置関係を尋ねたところ、次のように説明があった。
「確かに地面下の放水銃格納庫の扉は開くようにはなっていました。ただ、かなり工作物が(格納庫に)迫っている状態だったことは確認が取れています」
会社の非常口を形だけ空けて資料を積む。防火水槽指示位置の枠に入っていないけれどギリギリまで寄せて車を駐車する。そして、イベント設営の際に放水銃や消火栓設備の規制ラインギリギリまで寄せて工作物を設置する。明確に違法行為ではないが、万が一の際にそうした行為が命取りになるのは、これまで多くの火災が実証してきた。
検証は道半ばだ。火元の特定とともに、なぜ、ここまでの大規模延焼になってしまったのか、綿密な調査が必要だ。
(文=編集部)