同社の毒島秀行会長も個人的に計400万円分、さらに同会長の資産管理会社マーフコーポレーションも計450万円分のパーティー券を購入していたと報道されている。このほか、神奈川県横浜市や平塚市のパチンコ業者3社が計106万円分のパーティー券を購入していた。
グレーゾーン金利維持に動く
06年に自民党内を揺るがせたグレーゾーン金利撤廃の議論でも、甘利氏は動いていたとされる。
この年の2月、金融庁は最高裁判決を受けて、貸金業規制法施行規則の改正を行うことを表明した。4月の「貸金業制度等に関する懇談会」では、グレーゾーン金利の撤廃で意見が一致した。そして9月、金融庁がまとめた貸金業規制法改正案が明らかになったが、その内容は懇談会の答申にほど遠く、グレーゾーン金利の撤廃までの猶予期間を「9年間」とし、その間はグレーゾーン金利をほぼそのまま維持するという内容だった。
当時、自民党の「金融サービス制度を検討する会」の代表を務めていたのが甘利氏だ。この会に所属する族議員の圧力があったといわれている。例えば、同会顧問を務める保岡興治・元法務大臣は朝のテレビ番組で露骨にグレーゾーン金利の維持を訴えていた。また、同会事務局長を務める西川公也・元郵政民営化担当副大臣は民営化後の郵貯資金を貸金業界に流すべきだと主張していた。こうした動きに反発し、内閣府金融担当政務官だった後藤田正純氏は辞任、党内は大騒動となった。
グレーゾーン金利を維持しようとする甘利氏ら族議員に世論の批判が大きくなり、最終的に内閣より議会に提案された法案では法公布後3年をメドに、グレーゾーン金利を撤廃することとなった。
こうしてみてくると、甘利氏は、自民党内委員会の委員長のようなメディアでは大きく報じられないポストのときに精力的に動いていた。今回は大臣職にありながら建設会社からなんと大臣室で現金を受け取っていたとされるが、さすがに日の当たるところで悪さはできないということだろう。
甘利氏の初当選は1983年で、新自由クラブからの出馬だった。新自由クラブは河野洋平氏(元衆議院議長)を中心に76年に発足した政党だが、ロッキード事件で田中角栄元首相に捜査の手が及ぶなど政治倫理が大きな課題となり、自民党の古い体質に絶望した若手たちがメンバーだった。いうなれば自民党の金権腐敗体質を批判していたわけだが、甘利氏もその1人だったわけである。
(文=横山渉/ジャーナリスト)