強制起訴の意義
11年1月に政治資金規正法違反の容疑で小沢一郎氏が強制起訴された、いわゆる「陸山会事件」では、嫌疑不十分で不起訴と判断されていたのにもかかわらず、検察審査会が起訴すべきと判断した。この事件は、結果として無罪となった。このことから考えると、起訴猶予の場合だけ強制起訴の対象にすれば「あっさり起訴」ではなくなるのだろうか。
「嫌疑不十分を理由に不起訴とされた松本市柔道事故事件では、強制起訴の結果、有罪判決が確定しています。再三の捜査を踏まえて検察官が起訴を見送った事件の中から、検察審査会という国民参加の民主的討議による起訴を経て、むしろ25%も有罪になったと見れば、決して『あっさり起訴』ではありません」(桜井弁護士)
そもそも、なんのためにあえて検察官の判断を覆してまで、国民の意思によって強制起訴するという制度を設立したのか。
「強制起訴は、裁判員裁判と同様に刑事司法に市民の目線を反映させるべきという司法制度改革の流れの中で生まれてきた制度であることを踏まえる必要があります。検察官は、有罪の確信がなければ起訴をしません。しかし、先述の松本市柔道事故事件のように、検察官が嫌疑不十分と判断した案件でも有罪とされたケースがあるわけです。検察官が、真実、事案を適正に評価して、起訴するしないを判断しているのかについて、民主主義の観点から、市民の目線でもチェックすべきではないでしょうか。今回、市民の方々は、東京電力旧経営陣の過失責任について刑事責任を問うべきと判断しました。この声は重いと思います。ただし、この事件は裁判員裁判の対象事件ではありません。職業裁判官だけで判断するわけですが、裁判官がこの件でどういう判断をするのか、加えて今後強制起訴される事件の公判の推移及び判決結果には注目していきたいと思います」(同)
東京電力旧経営陣3人については、これまでの裁判例から考えても責任を問うのが難しいとして一度は検察官が不起訴と判断している。これをあえて検察審査会が覆して強制起訴をしたのであるから、裁判で3人に責任があると認められれば、国民意思の反映を旨とする強制起訴制度においても重要な意味を持つ。
また、「あっさり起訴」などと揶揄されないためにも、検察官役を担当する弁護士の方々には、裁判所に3人の責任を認めさせるだけの証拠を提出して、検察審査会の判断が正しかったことを証明してもらいたいものだ。
(文=Legal Edition)
【取材協力】
桜井康統(さくらい・やすのり)弁護士
ウェール法律事務所
中小・ベンチャー企業の“戦わずして勝つ”予防法務(契約書・コンプライアンス等)を中心に、男女問題や刑事事件にも取り組んでいる新進気鋭の弁護士。
「泣き寝入りする必要はありません。じっくりとお話を伺いますので、ご遠慮なくお問い合わせください。電話・メールはもちろん、面談でのご相談も受け付けております」