赤枝氏「女の子はキャバクラ」発言に透ける、自己責任論と蔑ろにされる「教育の機会均等」
赤枝氏が、未公開株の購入をめぐるトラブルで離党した武藤貴也氏や、国会議員の育休を訴えておきながら妻を裏切っていたことが発覚して議員辞職した宮崎謙介氏、「巫女のくせに」発言の大西英男氏と同じ2012年初当選と聞いて、「またか」との思いも募る。
しかも、義務教育さえしっかりやっておけば貧困問題は解決するとの主張は、現実的ではないうえに今の課題とは大きくズレている。
確かに、中卒で賢明に仕事をし、子どももしっかり育て上げた立派な人は少なからずいる。しかし、中卒では資格取得や就職には圧倒的に不利なのも、また現実だ。たとえば看護師になりたくても、看護学校には高校を卒業(もしくは高卒認定試験に合格)しなければ入れない。中卒の場合、看護学校に入るには准看護師学校を出て実務経験を積んでから、ということになる。保育士試験の受験資格は、大学卒なら学部はなんでも構わないが、中卒の場合は児童福祉施設で5年以上、7200時間以上児童の保護に携わる経験が必要だ。
ひとつの会社に定年まで勤めた時の生涯賃金も、中卒は大卒より7年も余計に働くのに7000万円ほど低い。これで、どうして義務教育さえしっかりしていれば、貧困は解決すると言えるのか。
なにより、「高校に進学したい」「大学で学びたい」と考えている子どもたちが、家庭の貧困によって機会が奪われないようにするという課題は、まさに日本の教育の基本にかかわる問題なのに、それへの理解が欠落している。
教育基本法は第4条で、次のように「教育の機会均等」を謳っている。
<すべて国民は、ひとしく、その能力に応じた教育を受ける機会を与えられなければならず、人種、信条、性別、社会的身分、経済的地位又は門地によって、教育上差別されない。>
ここでいう「教育」とは、義務教育に限られない。高校や大学での学びも、「経済的地位」によって差別されないようにする責務が国や地方自治体にはある。
広がる格差・不十分な奨学金制度
今の日本は、かつて「総中流社会」と呼ばれた時代とはすっかり様変わりしている。先進諸国で子どものいる家庭の格差を分析した国連児童基金(ユニセフ)の調査では、日本は41カ国中34位で、なんとワースト8位だった。標準的な経済状態の家庭の子どもと、貧困層の家庭の子どもとの格差は、韓国(15位)や“格差大国”といわれてきた米国(30位)より深刻な状況にあると認めざるを得ない。
制度のうえでも問題がある。生活保護家庭の子どもは、昼間の大学・専門学校・各種学校に通うことを認められない。唯一、その子どもだけ世帯分離してもらう方法があるが、家庭への保護費は減らされ、その子の国民健康保険への加入も求められるため、子ども自身がアルバイトをなどして生活費などを稼がなければならい。貧困家庭の子どもの進学に非常に高いハードルが課せられている現状は、果たして「教育の機会均等」が守られているといえるのか、大いに疑問だ。
標準的な経済状態の家庭とて、決して楽ではない。東京地区市立大学教職員組合連合会の調査によれば、昨年春に入学した下宿生の仕送り額(6月以降の月平均)は、前年度より1800円少ない8万6700円で、15年連続で減少した。「アベノミクスにより、労働者の賃金は上がった」と安倍晋三首相は成果を誇示しているが、その恩恵は東京に子どもを送り出す地方の親の家計にまで及んでいないのではないか。
一方、授業料はデフレの時期も値上げを続けてきた。そういう状況なので、今や大学生の半数が奨学金を受けている。その多くが有利子の貸与制、すなわち利息を付けて返すもので、奨学金というよりローンと呼んだほうがいい。
労働者福祉中央協議会のアンケート調査によると、卒業の時点での奨学金借入総額は、平均312.9万円で、月の返還額の平均は約1万7000円。総額が500万円に上り、月に3万円の返済が必要な人もいる。返済が滞る延滞者は約17万3000人に上り、自己破産する者も出ている。
日本は、国費を充てた奨学金としては有利子もしくは無利子の貸与型だけで、返済がいらない給付型はない。経済協力開発機構(OECD)加盟の先進国で、国の制度として給付型奨学金が整備されていないのは日本と、国公立大学の授業料が無償のアイスランドだけだ。
OECDは、加盟各国の国内総生産(GDP)に占める学校など教育機関への公的支出の割合を毎年発表しているが、昨年11月に公表された2012年分では、日本は比較可能な32カ国中、スロバキアと並んで最下位だった。その報告書の中で、「日本の高等教育機関の学生は高い授業料を支払う必要があるが、公的補助の恩恵を受ける学生は少ない」と指摘されている。