7年前に放映され、「倍返し」で流行語大賞も取った人気ドラマ『半沢直樹』(TBS系)。今夏、再開され、7週連続で視聴率20%の大台超えをマークする好調ぶりを見せている。堺雅人演じる半沢が銀行内の数々の不正を暴き、国家権力に対抗して逆転劇を果たす。そんな痛快な内容が視聴者の心をわしづかみにした。
第5話からは、経営不振に陥った帝国航空の再建にからみ、白井国交相(江口のりこ)の卑劣なやり方と闘うストーリー。現実には、大臣といえども、ここまでの独断専行はできないようだが、半沢の「国の思い通りにはさせない」という意地が、最後は政治家の思い上がりに対する倍返しにつながるという展開が人々の共感を得ている。
今、この構造がリアルに展開されている組織がある。オリンピック2大会連続で日本の全競技のなかで最多の金メダル獲得数を誇るレスリング。それを支える公益財団法人「日本レスリング協会」だ。白井国交相の立場にいるのが、文部科学大臣も務めた馳浩衆院議員。元プロレスラーで同協会では副会長である。ドラマでの白井国交相は、自ら表に出て、出世を目指す野望をむきだしにし、半沢に圧力をかけてくるが、馳氏の場合は、自らは表に出ず、人を使い、マスコミを操作し、陰湿な手で覇権奪取、つまり同協会の会長職を狙っている。東京五輪で華やかな思いをしたいのだ。
レスリング界の一人が、吐き捨てるように言った。
「現在の福田富昭会長の後任は、馳もありかな、と思っていました。しかし一連の陰湿さを見たら、冗談じゃない、と変わりました。協会の会長をやりたいのなら、きちんとしたビジョンと計画を示し、正々堂々と立候補すればいいんですよ。政治家は裏表があり、最後は自分に利益誘導する。まずいことには沈黙。この協会の将来は任せられません」
伊調選手に対するパワハラ騒動
馳氏の野望は、2年前にさかのぼる。まだ記憶に新しい栄和人元強化本部長の伊調馨選手に対するパワハラ騒動だ。栄氏にとっては限りなく濡れ衣に近かったこの騒動の裏には、福田政権からの覇権奪取を目指す元衆院議員の松浪健四郎・日本体育大学理事長と馳氏の“師弟コンビ”による暗躍があったことはレスリング界の公然の秘密だ。松浪氏は馳氏の出身大学、専修大の教授だった。
パワハラ騒動の根底にあったのは、松浪理事長が伊調選手を日体大に引っ張り、“日体大の人間”として前人未踏の偉業、つまり五輪5連覇を達成させ、その栄誉を栄氏が吉田沙保里選手や伊調選手らを指導してきた至学館大学から横取りしようとしたことに始まる。伊調選手のため大学の教員か職員のポストを用意し、彼女と「きわめて親密な」コーチの田南部力氏(警視庁)を付属高校に赴任させ、このコンビでの偉業達成を目指させる腹積もりだった。
誤算は、伊調選手が日体大の教員や職員への就任にまったく関心を示さなかったこと。松浪氏は彼女の恩師を使うなど、あらゆる手段で試みたが、伊調選手は首をタテに振らなかった。この点では、伊調選手は自分の意思に正直で、周囲の打算に動かされることのない純粋な心の持ち主だといえよう。そして田南部氏の採用は、日体大ほどの組織なら、理事長の一言で中途採用できるものではない。組合の同意が得られず、この話もボツへ。
松浪理事長は「日体大は練習環境のない伊調選手に練習場所を提供します」とテレビに出演して発表し、悲劇のヒロインを日体大が救ったかにように振る舞い、伊調選手に執着した。しかし、「日体大で練習できるようになったのは、その半年も前のことだった」と多くのレスリング関係者は目撃しており、これはすぐにネタばれした。
昨年、伊調選手は川井梨紗子選手との世界選手権代表争いに敗れ、川井選手が東京オリンピックの代表権を手にしたことで、松浪理事長の野望は潰えた。前年の秋には前立腺がんのほか、膵臓がんが見つかる。この夏には大腸がんも見つかり、全身への転移も心配される状況。レスリング協会の覇権争いからも完全に降りた状態だ。
蒸し返された8年前の公金問題
さて、振り上げた拳を下ろさないのが馳氏だ。福田会長の後任に高田裕司専務理事の昇格が濃厚になるや、反高田人脈を使い、8年以上前の会計問題を持ち出して「高田降ろし」を仕掛けてきた。連覇確実とされたモスクワ五輪のボイコットで泣いて悔しさを訴えた高田氏を覚えている人も多いだろう。
それが、「週刊新潮」(新潮社/8月27日号)に掲載された、ある告発者による「高田氏の公金横領」である。国の補助金から専任コーチに渡される謝金の一部を2012年まで毎年、高田氏が『公的な強化に使う』といって集めていたが、「キックバック(還流)させた金で妻の東京でのマンション代などに私物化している」といった内容である。告発者はこれを書いて日本オリンピック委員会(JOC)に送ったのだ。だが言い分は証拠もなくて具体性に欠け、あまりにも稚拙。高田氏に名誉毀損で訴えられたら、どうやっても勝てない事案が多い。
JOCが多少なりとも問題としているのは、国などからコーチに支払われる謝金の一部を協会に寄付させ、海外遠征の時の会食代などに充てていたことだが、当時、これ自体は違反ではなかった。レスリング協会は8月中に、強化担当者内のやりとりであったため当時の事務局長などはその事実を知らなかったことを報告した。
高田専務はキックバックの慣習や、そういったことに使ったことは認めているが、妻の件はもちろん、私的流用は完全否定している。現場を知る強化関係者の一人が笑う。
「キックバックしてもらった金でやった会食には、馳副会長も何度も参加しているんですよ。副会長であり政治家なら、『足しにして』と言って飲食代の一部でも払う立場でしょう。政財界の重鎮を連れて参加する時もあり、いい格好はするけれど、会計を気にしたことは一度もないです」
馳氏の誤算は、キックバックされた金の担当者だったのが、専大の後輩であり当時強化スタッフだった久木留毅・現国立スポーツ科学センター長だったこと。8年以上前の、しかも当時は違反行為でなかったことの責任を問うのなら、当然、久木留氏も責任を負う立場にある。馳氏は久木留氏が強化委員会の会計担当だったことを知らなかったのではないか。「いざとなったら、久木留を切るよ。政治家は、自分の目的のためなら人を切ることなど、なんとも思わない人種だろうから」との声もあるが、果たしてどうなるか。
機密事項が漏れている
さてこのレスリング界の暗闘には『半沢直樹』でも登場するような内通者がいる。もちろん馳氏もその一人であり、もう一人は、彼の息のかかった官僚である。協会の理事会で決定されたことが、すぐにスポーツ庁に伝わりメディアに流れていることから、多くの協会関係者はそれを感じている。前述の関係者はいう。
「ドラマでは、銀行に内通者がいて、機密事項があっという間に白井国交相に伝わる展開でしたが、うちもその通りだったので、笑いました。なぜ協会が発表していないことを、一部のマスコミがいち早く知ることができるのでしょうかね」
世の中、最初に活字やテレビ報道で出たことは、大きなインパクトとして残る。栄氏の時もメディアを使った印象操作でネガティブイメージをつくられた。今回、「週刊新潮」によって強化費を懐に入れたと報じられたことは、高田専務理事の評判を落とし、現政権の打倒に向けて強烈なイメージをつくったことは確かだ。
だが、「倍返し」はドラマだけのことではない。高田専務は名誉毀損での訴訟を起こすなどの「倍返し」を口にしている。ドラマで言うなら、まだ前半が終わったところ。政治家の圧力と闘う高田専務理事ほか現執行部の反撃から目が離せない。
(文=杉本良一)