「丁寧という言葉」はいつから?羽田・新飛行ルート、住民への国交省“虚偽説明”が次々露呈…騒音、想定を大きく超過
10月14日、加藤官房長官が日本学術会議の6人の任命拒否について、今後も「丁寧に説明していく」と会見で表明した。しかし、6人を拒否した理由について仮に政府が「政権の政策に反対したから」と正直に説明したら、政権の土台が崩れるだろう。かといって総合的、俯瞰的にといったところでなんのことかわからないが、国民の誰もが、政権があの6人を気に食わなくて排除したと思っている。
今回の事件だけでなくモリカケ、桜、さらに憲法解釈変更をめぐって国会答弁で政府が困ったときに持ち出すのが、この「丁寧に説明する」という言い方である。
「丁寧に」という言葉は人の心を穏やかに、そして期待を持たせる力を持っている
それにしても、丁寧に説明するという政治家や官僚の発言は、内容がどうであれ発言者の人格の欠点さえ一部を補う効果があるようだ。この言い方は、約8年間の安倍政権が頻繁に使うようになり、今や国会内だけでなく地方自治体の首長や職員までにも浸透している。使われるのは、もちろん説明や答弁に困ったときである。
『広辞苑』によると、丁寧とは「注意深く心がゆきとどくこと。またてあつく礼儀正しいこと」とある。どうであろうか。政治家や役人が使うと言葉の本来の趣旨が大きく変わり、言葉だけが空虚にひとり歩きしていると感じるのは私ひとりだけではないだろう。本来、政治家や役人は物事を説明するときには丁寧に説明すべきであるはずなのに、なぜことさらこのような言葉を付け加えるのか、それは中身についてまともに論理立って説明できない事情があるからだ。それは国会での政府答弁を見ても明らかだ。
使われだしたのは2012年の野田政権のときから
私は政治、社会学も専門としている立場から、長年、日本の政治家や役人の国会での答弁にも強い関心を持って見てきた。そこで言えることは従来「丁寧に」という形容詞をわざわざ説明の前につけないできた日本の政治史において突如使われるようになったのは、2012年の冬の国会での旧民主党政権時の野田佳彦元首相の発言からであろう。
当時、国会では「税と社会保障の一体改革」議論が行われ、野党であった自民党総裁の安倍晋三氏から、消費税を上げたいとする野田元首相は質問攻めにあっていた。財務大臣も経験して消費増税に積極的であった野田氏は、国民が嫌がる消費増税を実行するためにこの「税と社会保障の一体改革」を「丁寧に説明していきたい」と言いだしたのがいきさつである。
しかし、その説明にも説得力がなく、解散総選挙で大敗し、以後野党にとどまっていることは周知の事実だ。野田氏が放ったこの丁寧な説明というフレーズは、政権復帰を果たした安倍政権によっていわば都合よくパクられ今日に至っているのが真相なのである。
都心新ルートについて国は丁寧に説明したか?
公明党出身の石井前国土交通相と赤羽現国交相も、役人たちが用意したメモを読み上げているが、いつも決まって住民に丁寧な説明をすると言ってきた。だが実際はどうであったか。国土交通省が羽田空港の新飛行ルート関連で住民へ行ってきた説明会は、国交省職員と住民とのマンツーマン方式で、住民側から一貫して要望されてきた集会型を拒否してきた。その理由は何か。
集会型にすると住民がほかの住民の意見も聞くことができたり、自分の質問に対して職員が誤った説明や誠意のない回答をしたら、他の職員がそれをフォローし補足してくれることもある。国交省はそれが嫌で1対1のマンツーマン方式を譲らないのである。
1対1では職員は、航空の素人の住民に対しウソや詭弁を使っても、その場しのぎでなんとか時を終えることもできる。実際いくつかの説明会で首都圏課の職員が私のことを名指しして「杉江氏はジャンボ時代の古いパイロットで、今は機材や管制はさらに進歩している」と中傷を繰り返していたという証言もある。私がエンブラエルE170というハイテク機に乗務し、都心新ルートに採用されたGPSを使ったRNAV進入も全国で経験し、教官もやっていた事実を隠して住民にウソの情報を与えてきたのである。
ちなみに赤羽大臣も参議院予算委員会で同様の主旨で私への誹謗中傷発言を行ったが、これらについては7月10日の担当役人たちとのヒヤリングにおいて、私が「今日出席の11人の皆さんで私がE170機に乗務していたのを知らない人は手を挙げてください」と質問したが、誰ひとりとして手を挙げなかったことで真相が明らかになった。
つまり、国土交通省は上は大臣から下は首都圏航空課の職員まで、示し合わせて私の乗務経験についてウソの情報を国会や住民説明会で流していたことが判明したのだ。ついでに付け加えておくが、国土交通省はこれまでルート下の騒音の最大値は80dbといってきたが、その科学的根拠も示さず、実際に飛んでみると品川区で86db、川崎で96dbという騒音を記録している。
3.45度の急角度のRNAV進入を去年の夏に突然公表したときも、その理由について騒音対策という偽りの説明を行ってきたのである。実際は、横田空域との関連で米国側から米軍機の活動範囲を拡大させるために、最終進入地点の高度を高くするように求められたためであった。さらに品川区の代議士から内閣に提出された質問主旨書で「気温35℃下、B777での最大着陸重量下での降下率と降下角は」と聞いたことに対し、「そのようなデータは持ち合わせていない」という信じられない回答を行っているのである。
安全上のリスクに対して飛行条件を具体的に示したうえでの質問に対して、データは持ち合わせていないというのであれば、議論にならないのではないか。国交省はこのような対応を続けて、いったいどこが丁寧な説明だというのだろうか。
「丁寧に」という悪しき慣行は中止すべき
今や首相をはじめ官房長官や各大臣が会見で読み上げる原稿に、役人が必ずといって良いほど書き込むこの「丁寧に説明する」という一文は、枕詞(まくらことば)のように使われ、もはや有名無実化しているといってよいだろう。
菅首相は「前例踏襲打破」などと勇ましいことを表明しているが、ではこの旧民主党政権下での野田氏以来使われてきた「丁寧に」という形容詞を即刻廃止してみたらどうか。本来、政治家や役人が物事を国民に説明するときはどんなときでも「丁寧に」が当たり前で、丁寧でなくていい場合はありえないからだ。
しかし、菅内閣発足から2カ月以上たっても一向に変わらぬばかりか、加藤官房長官が毎日のように「丁寧に説明する」と会見で連発している様子を見ても、安倍内閣の継承というだけあって悪しき慣行を改める気配は微塵も感じられない。
繰り返し言うが、政治家や役人が「丁寧に説明する」と言えば言うだけ、説明の中身は空虚なものでウソ、隠蔽、改ざん等、説明しようにも説明できない、正直に言うと内閣が潰れたり政治家や役人個人の辞任に発展したりするときに使われる言葉であることを知っておくべきであろう。
(文=杉江弘/航空評論家、元日本航空機長)