上野の危機
そして、新宿や渋谷に負けじと発展するイースト東京だが、ここにきて真打ともいえる上野にようやくスポットライトが当たるようになった。
上野といえば、なによりもジャイアントパンダのイメージが定着している。実際、街を歩けば、あちこちにパンダのイラストが描かれてパンダとのつながりを意識させられる。しかし、実のところ08年には上野動物園で飼育されていた「リンリン」が死亡。以降、上野動物園からパンダが姿を消した。パンダがいなくなったことで上野動物園の人気は急落。11年に中国からパンダをレンタルすることで、上野動物園の人気は一時的に回復した。
しかし、さらなる危機が上野を襲う。それが15年に開業した上野東京ラインだった。それまでの上野駅は高崎線・宇都宮線・常磐線の終着駅であったため、北の玄関口として機能していた。これらの路線を利用する“北関東民”にとって、上野は東京に足を踏み入れる最初の地でもある。また、帰りの電車も上野から乗ることになるため、上野で飲食や買い物をする人が多い。
そうしたターミナル駅であるために上野にもたらされる経済効果は大きい。だが、上野東京ラインの開業で、上野駅は通過駅となってしまう。そんな衰退危機が懸念された。台東区職員は言う。
「上野駅のポテンシャルが低下したのは、今に始まったことではありません。01年に湘南新宿ラインが開業した際も新宿・渋谷方面からダイレクトに大宮・高崎・宇都宮といった北関東方面にアクセスできるようになりました。これに伴い、上野界隈が衰退するといわれていました。それでも、北へ向かう寝台列車や特急列車が発着していましたから、上野は北の玄関口という意識はまだありました。上野東京ラインの開業は、上野にとって積み重ねてきた歴史を覆すインパクトのある出来事だったと思います」
上野の逆襲
こうした苦難もあったが、今の上野の街は平日でも人で溢れており、衰退が懸念されるような危機にはない。それどころか、上野は新宿・渋谷に迫るほどの勢いを見せている。
上野が賑わうようになった第一の理由は、なによりも訪日外国人観光客の増加にある。15年に流行語にもなった中国人観光客による爆買いは鳴りを潜めたが、それでも訪日外国人観光客は増加の一途をたどっている。彼らが出国間際に立ち寄るのが、特急列車で成田空港に簡単にアクセスできる上野なのだ。いわば、訪日外国人観光客にとって“最後の日本”ともいえる上野界隈で、最後の食事や買い物を楽しむ。