正直、失笑に耐えない話だ。
安倍首相が田中氏を批判したことは、確かに「軽卒」の誹りは免れないだろう。しかし、細野幹事長に果たして、そのような発言をする資格があるのか。
政権を奪取した瞬間に天狗になり、メディアを片端から訴えたのは、いったいどこの党だったのか。それは「民主党」という名前の党ではなかったか。それこそ、「政権与党が持つ強大な権力を考えた時、そうした行動は自制すべきだった」のではなかろうか。細野幹事長はこうも続ける。
「田中氏以外の人も、最高権力者である総理から名指しで反撃を受ける可能性を考えると、総理に対して批判的なことを言いにくい雰囲気ができてしまいます。最高権力者である総理には、表現の自由を実質的に確保するため広い度量を持って頂きたいと思います」
この言葉こそ、政権与党の座にいた当時の民主党執行部の面々にでも言ったらどうかと思う。
ちなみに筆者は、福山哲郎外務副大臣(当時)から雑誌記事3本(「文藝春秋」<文藝春秋>、「月刊WiLL」<ワック>、「週刊朝日」<朝日新聞出版>)と個人blog「ペコちゃんジャーナル」の記事あわせて、合計6本について一度に訴えられたことがある。福山氏が求めた名誉毀損の損害賠償額は、1650万円だったが、一審判決でblog記事3本分として33万円、2審では福山氏が損害賠償請求を放棄し、賠償額は0円という結果であった。
しかし、福山議員が提訴したことで、個人的には2年半もの時間を浪費させられたこと、また、「批判的なことを言いにくい雰囲気」をつくりだしたことは、今でも許し難い行為であると感じている。
もちろん、細野幹事長と福山議員の問題は別だが、まずは内部の意見をまとめてから、外部批判をしたらどうだろう。少なくとも、幹事長という要職についているのだから。恐らく、民主党には「自己反省」という文字は存在しないのだろう。
●時の権力者にすり寄り、党内を遊泳してきた過去
それにしても、細野幹事長は、「民主党の風見鶏」「コウモリ男」と異名を取り、その場しのぎの対応と変節を繰り返し続けた政治家なだけはあると感心した。細野が裏切りを重ねながら、党内を遊泳してきた経緯を正確に言える人はひとりもいないのでないかというほど、豊富なエピソードの持ち主だからだ。
一昨年、細野が「総理補佐官」に任命された時は誰もが耳を疑った。その前年の代表選では凌雲会(反小沢)の中心メンバーでありながら、小沢陣営についたが、小沢の力に陰りが見えるや否や、当時の菅直人首相と仙谷由人官房長官の下に走りよったからだ。
昨年の総選挙前の代表選でも、皆の期待は裏切られなかった。「僕は民主党を再生したい」と細野を支持する若手や中堅議員に出馬するそぶりを見せていたにもかかわらず、またもやドタキャン。梯子をはずされた若手議員の気持ちなど、自らの保身の前ではどうでもよかったとしか思えない。このように要所、要所で必ず「やってくれる男」が細野幹事長なのである。
さらに、前出の「表現の自由を実質的に確保」発言に関しても疑問を感じる。対北朝鮮外交を一時期、外務官僚としてリードした田中氏の発言は重く、一民間人などとは到底言えないだろう(だからと言って、現職首相が批判するのはあまりにも大人げない態度であることは間違いない)。
それよりも、細野幹事長はひと月半近くにわたって、「日程が合わない」という理由で、インタビュー取材どころか紙でのコメントさえも出さずに、筆者の取材から逃げ回った事実をどう捉えているのか。取材の内容から言って、原発事故担当相、環境相を歴任し、原発事故当時は「最前線に立って対応していた(と、細野幹事長の著書『証言 細野豪志「原発危機500日」の真実に鳥越俊太郎が迫る』<講談社/細野豪志、鳥越俊太郎>の帯に記されている)」政治家として彼を見た時に、「説明責任」を放棄し続けたとしか思えない態度なので、ここに詳細を記すことにする。
筆者自身が月刊誌の取材で最初に細野幹事長に申し入れたのは、5月1日のことだった。それより以前の4月半ばには同編集部から申入書が入っている。