吉沢氏は7月28日、東京都内で街宣。経済産業省と東電本店に要望書を提出した。
「東電慰謝料の月50%増額は当然。事故当時の浪江町での避難状況は双葉郡の他の自治体とは違って、特別ひどいものでした。恐怖の避難に対する増額を私が町長となって、全町を挙げて裁判で勝ち取っていく。今秋に実施される福島県知事選では、候補者に汚染水の問題を問い掛けたい。反対の立場を取らないのか、と。汚染水は請戸漁港の漁師にとって死活問題となります」(吉沢氏)
公約のなかでもひときわ目を引くのが、エネルギー政策だ。
「多収穫米などからガソリンに混合するエタノール燃料を生産します。これは放射能の心配がまったくない燃料生産。町内の農家は生きがいと収入を得られます。浪江農業と町の復活を目指したい」(同)
選挙戦突入後、福島県内の主要メディアは異例の態勢で報道に力を入れてきた。だが、生活の場を町内に持たない有権者の関心は決して高いとはいえなかった。投票率は43.08%で、前回を12.97ポイント下回っている。
告示前に行われた公開討論会。報道では数十人規模の動員と伝えられた。
「半分以上は報道関係者。実際に足を運んだ浪江町民は10人前後というところでしょう。居住実態がなければ、町民としてのアイデンティティーは日々薄れていく。去る者は日々に疎しとでもいうか。やむを得ないことですね」(選挙関係者)
町から村へ
遠くない将来、浪江町は10分の1程度にダウンサイズ。「村」となることが有力視されている。
通常国会が閉幕した直後ということもあり、地元選出の国会議員を巻き込んだ与野党対決の構図まではつくれなかった。経産省や東電本店、首相官邸、自民党本部などで吉沢氏は訴えた。
「除染をしても、放射能は残っています。避難解除をしても、浪江町には帰れません。浪江町は人口が10分の1、2000人ほどの寂しい村のような状態になっていこうとしております。さようなら、浪江町」
候補者が自ら自治体に別れを告げる。こんな選挙戦はなかなか見られるものではない。だが、吉沢氏は言葉を継いでみせた。
「絶望は必ず希望に転換できる。原発を乗り越える時代を浪江町から全国に発信します」
霞が関や永田町で足早に通り過ぎる聴衆に対し、「次は皆さんの番だ」と声を掛けた吉沢氏。敗戦を受け、「3つの公約は、吉田町政と県、国へ今後も訴え続けていく」と決意を新たにした。これは終わりではない。始まりだ。
(文=片田直久/フリーライター)